太鼓門(橋詰門)の前には橋が架(か)けられており、「太鼓門前橋」、「車橋」などの名称を確認している。内堀の調査では、洪水や地震によって壊れた橋が何度も架け直されたようすを確認できた。太鼓門前の内堀を発掘すると、三〇本以上の折れた橋脚が確認でき、そのすべてが先端を尖らせて打ちこんでいたことがわかった。調査では、内堀に堆積した土層と橋脚との関係から、打ちこまれたおおよその時期を想定することができる。それぞれの橋脚を打ちこんだ時期と災害による橋の崩落の時期を検討することにより、橋が四回以上架け直されたことが判明した。なかでも弘化四年(一八四七)の地震・水害後に打ちこんだと想定できる橋脚と、嘉永七年(安政元年、一八五四)と記載された橋の絵図とを比較すると、寸法、柱割りが一致することから、絵図の記載をもとに太鼓門前橋を復元している。