大勧進・大本願などに分配された知行や免の年貢は、寺領四ヵ村から上納される。天和(てんな)三年(一六八三)の四ヵ村総検地とそれにもとづく名寄帳(なよせちょう)により、百姓一軒一軒の負担が明確にされた。年貢は「下ノ御寺入(しものおてらい)り」ぶんを大本願に納め、ほかはみな大勧進が扱う。このうち長野村は、村民の大部分が門前町に属するが、城下町のような地子(じし)免除はなく、町民も身分的には百姓で年貢を納める。多くは屋敷のほかに他の三ヵ村に出作(でさく・でづくり)田畑をもっていた。その出作地が制度的にきめられているのは善光寺領の特色である。たとえば、箱清水村では「居村(いむら)分」(村民所持分)一三八石余にたいし「出作分」(八町町民等の出作地)一〇一石余があった。時期がくだると町民のなかには居村分まで入手するものがいて、大きな地主になるものもでた。
長野村内には北信濃の遠近から人びとが集まり門前の町並みが形づくられた。門前町であるとともに、毎月九回の九斎市(きゅうさいいち)が開かれる商業町でもあり、北国街道善光寺宿の宿場町(しゅくばまち)でもある。北国街道松代通りと並んで善光寺通りが公認され、善光寺宿がおかれたのは慶長十六年(一六一一)だが、そのころからかなり計画的に町々がととのえられたと思われ、八町(はっちょう)・両御門前(りょうごもんぜん)が成立した。両御門前は横沢町と立町(たつまち)で、横沢町は大勧進に、立町は大本願に直属して寺役(てらやく)を勤めた。八町は自治的な町民の町で、大門町・横町・後町(ごちょう)・北之門町(現本堂造営のとき移されて新町(しんまち)・伊勢町)・東町・西町・岩石(がんぜき)町・桜小路(さくらこうじ)(現桜枝町(さくらえちょう))である。
初期には、八町を大勧進代官高橋氏が専制的に支配し町民との紛争がおこったが、延宝(えんぽう)六年(一六七八)高橋氏は失脚し、領政は合理的な仕法にあらためられた。町役人には、八町全体をまとめ町民の意思を上達する町年寄(まちどしより)がおかれていた。各町(および村々)には、肝煎(きもいり)(のち庄屋(しょうや))がいて、五人組頭がこれを助けた。他領のような組頭・百姓代(だい)はない。高橋氏失脚以降、町々の自治力がしだいに高まり、八町の連合活動も増す。
善光寺町の人口は、寺僧をふくめ初期には二〇〇〇人程度で、北国街道に面した表通りでさえ田畑のままのところが多かったが、貨幣経済が進展する一七世紀末から善光寺平の中心的商業都市として人口が増えはじめ、一八世紀には五〇〇〇人台に乗り一九世紀には七〇〇〇人におよぶ。寺領外の妻科(つましな)村後町(ごちょう)・新田(しんでん)・石堂(いしどう)各組や問御所(といごしょ)村・権堂(ごんどう)村なども町場化がすすんだから、その全体では一万人に近づく。家屋や町並みの景観も大きく変化した。
町民の階層には、自分の屋敷地に自分の家をもつ大家(おおや)(持地)と、これにたいし屋敷を借りてそこに自分の家をもつ地借(じがり)(借地)、借家人の店(たな)(店借(たながり)・借家)があった。嘉永(かえい)二年(一八四九)の調べでは、八町全体で大家四四四軒(四三・九パーセント)・地借二七〇軒(二六・七パーセント)、店二九七軒(二九・四パーセント)である。しかし、この実態はかなり流動的で、短い期間にもかわる。屋敷の分割や屋敷・家屋の売買・貸借などがひんぱんにおこなわれたからである。とくに地借・店借は善光寺平の諸方から人が流入し、八町の人口増もそこに主因があった。
大家は屋敷にかかる役を負担した。役には大別して寺役と宿駅役とがあった。それぞれの役は屋敷ごとにきまっていて、屋敷の持ち主がかわっても同じ役を勤める。寺役の筆頭は大被官(おおひかん)役で、大勧進・大本願の寺役人の下で寺の仕事を勤め、町民身分だが事実上支配者がわに立つ。寺役にはほかに、小被官(こひかん)役・門前役・書役(かきやく)などと、職人に課される大工(だいく)役・鍛冶(かじ)役・木挽(こびき)役・畳(たたみ)役・桶屋(おけや)役などとがあった。大工役(鳶(とび)職をふくむ)は、建築のほかに火消しの中心にもなった。善光寺町の火消しは、道具ばかりか服装までよくそろっていて、応援に駆けつけた松代町や村々の火消しを羨(うらや)ましがらせた。宿駅役は善光寺宿の労役に従事するものである。大門町に問屋(とんや)・本陣(ほんじん)と旅籠(はたご)屋三〇軒ほどがあったが、大門町の家々は問屋の公務に人馬を出す伝馬役(てんまやく)を勤める。ほかに西町にも若干の伝馬役がある。人足だけを出す歩行(かち)役は大門町以外の町々でうけもった。
以上のような役は大家が負うが、上層の大家のなかには諸役の勤めを屋代(やたい)(屋守(やもり))や地借・店借にやらせるものもいた。また諸役はほんらい労働力を出すものだが、時期がくだると代金納(だいきんのう)にかわるものが多かった。