語りつがれる大地震

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善光寺地震は広く、また長く語りつがれる。当時の記録には、松代藩家老河原綱徳(かわらつなのり)が、各地からの被害報告をこまかく記録した『むしくら日記』や、家老の鎌原桐山(かんばらとうざん)の『地震記事』がある。松代藩が幕府に提出した「松代大地震御届書類」の写しなど公式記録も残る。民間にも、善光寺周辺でつぶさに大地震を体験した権堂村(鶴賀権堂町)名主永井幸一(さちかず)の災害図入りの『地震後世俗語之種(はなしのたね)』、山中の堰留(せぎと)め湖の決壊で、洪水に一喜一憂した体験を綴った小森村(篠ノ井)の寺子屋師匠大久保董斎(とうさい)の『弘化大地震見聞記』など被災体験を綴った地震記がある。のちには、町や村にいて未曾有(みぞう)の体験を強いられた人びとの領主への嘆願書などを網羅(もうら)した東京大学地震研究所編『新収日本地震史料』⑤をはじめ、『県史近世』⑦、『市誌』⑬などの史料集、各市町村の被害状況などをたんねんに記した自治体史が編まれた。

 絵画史料としては、右の『地震後世俗語之種』、松代藩お抱え絵師で八代藩主真田幸貫(さなだゆきつら)の西部山中巡行にお供した青木雪卿(せっけい)の六九場面にもおよぶ巡視図(「感応公(幸貫)丁未(ていみ)震災後封内(ほうない)御巡視之図」)、大岡村(大岡村)出身の松代藩雇い足軽(やといあしがる)新左衛門が描いた「信州地震大絵図」、小県郡上塩尻村(上田市)名主の原昌言(まさこと)の「信濃国大地震之図」などがある。そのほか、地震直後、地元や江戸で発売された瓦版(かわらばん)、叙事民謡のくどき節・やんれ節、また、善光寺三門の東がわに建つ上田宿の土屋仁輔(じんすけ)が寄付した地震塚、伺去真光寺(しゃりしんこうじ)村(浅川)が災害復興に尽力した中野代官高木清左衛門を高木大明神として祀(まつ)った碑などもある。


写真104 弘化4年(1847)の善光寺大地震地震塚(善光寺三門東)