小学校は人民共立から市町村立へ

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 明治五年八月の「学制」は学区制で、学区は一般行政と合致せず、管理者は区が戸長、小学区は学校世話方(役)であった。当時の小学校は、学区の人民共立であった。

 十二年の教育令で学校管理者は学務委員に変わった。さらに十八年の連合戸長役場が置かれて行政区と学区の一本化がはかられ、学務委員を廃して連合戸長が学校管理者となった。

 画期となったのは明治二十二年の「市制・町村制」で、市町村が地方自治体となって、学校は市町村立となり、小学校の設置者は市町村、市町村長が管理者となっている。