農産物価格の下落と農村の立てなおし

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昭和四年(一九二九)秋に発生した世界的大恐慌(きょうこう)によって、米価は石(こく)あたり昭和四年の二五円四五銭から、五年一五円三五銭、六年一四円八九銭へと暴落(ぼうらく)した(表25)。生糸(きいと)相場が四年の一三一〇円(一〇〇)から、六年六三五円(四九)に下落したのにともなって、上繭(春)一貫目あたり価格は四年七円二六銭(一〇〇)、六年三円〇二銭(四二)と暴落した。養蚕農家は、価格の低下を収繭量(しゅうけんりょう)で補おうとし、一戸あたり収量を昭和三年の六五貫から、五年八一貫、六年七一貫と増やした。


表25 長野県の農産物価格

 更級郡真島村の農産物生産状況によれば、産繭量(さんけんりょう)は、昭和三年の二万六〇〇〇貫から、五年の三万四〇〇〇貫、六年の三万一〇〇〇貫、七年二万七〇〇〇貫と、五年の増産を頂点にして減少している。これによって、五年の努力も所得維持には効果がなく、養蚕農家の挫折感(ざせつかん)やあきらめがうかがえる。こうした農産物価格下落によって、すでに昭和四年十二月末現在、一町歩余の自作農の年間生活費が一一二二円であったとき、長野市農家の一戸あたり負債額(ふさいがく)は平均一五五一円に達していた。

 農家の窮状(きゅうじょう)を救済するために、行政は就業機会の確保にあたった。長野市は失業救済事業一〇万八二〇〇円で大峰山麓(おおみねさんろく)の展望道路、市営球場、市営プールの修理増設をおこなった(『信毎』)。そのほか、鶴賀二二号線、長野一ノ鳥居線、二之倉長野線などが対象事業として着工された。展望道路開発工事をはじめ、国道一〇号改修工事などに就業するためには、規程上、失業登録をしなければならなかったので、長野市職業紹介所の窓口には一家三、四人親子そろって失業登録に来るものもいた。市直営の展望道路の人夫採用方針は、暗黙(あんもく)のうちに地元(上松、往生地、狐池など)農民に優先権を与えていたので、他地区の者が採用される余地は乏しかった(『信毎』)。


写真135 大峰山麓の展望道路(『長野名所絵はがき』より)

 製糸業の不振に比べて紡績業の回復は早かったため、製糸業から紡績工場へ就職先を変えるものが激増した。長野市職業紹介所に、滋賀県大津市のベンベルグ絹糸株式会社から撚糸(ねんし)工、再繰(さいぐり)工七〇人の募集があったが、八年十二月以来東洋紡績(ぼうせき)株式会社への出稼ぎ者が多く、農村には若い女性が少なくなっていた。

 出稼ぎ女工の数は村によってまちまちであった。市町村別求職希望女工数(長野市職業紹介所、昭和七年度)を一〇〇世帯あたりでみると、七二会(なにあい)村二六・五人、大豆島(まめじま)村一九・五人、安茂里(あもり)村一六・九人、小田切(おたぎり)村一五・三人、それに次ぐのが一〇~一一人台の川田・更府(こうふ)・信里(のぶさと)・川中島・稲里の村々、朝陽村は最低の一・八人であった。

 長野県内の郡市町村では、昭和七年四月に制定された県農村経済改善委員会規程にしたがって、同委員会の設置をすすめ、農村不況対策に着手した。昭和七年五月、埴科郡豊栄(とよさか)村では、経済改善委員会規程が議決され、委員会は負債整理・金融改善、生産の増殖と販売の統制、消費の合理化、その他農村経済生活改善に必要な事項を推進することになった。委員は二〇人とし、産業組合、農会、養蚕実行組合のなかから選出され、村長が委嘱した。同村では、田四八町歩(一町歩は約一ヘクタール)にたいして普通畑三〇町歩、桑園二二九町歩であることにみられるように、農家は、養蚕を中心とする経営様式によって貨幣収入のみを絶対視し、ほとんど自給の食糧すらないありさまであったため、生活費の大部分は現金支出をともなった。

 昭和九年(一九三四)度豊栄村経済更生計画の概要によれば、最後の第十三項として奉仕的犠牲(ぎせい)的精神と自力更生(じりきこうせい)の精神の涵養(かんよう)をうたいあげて終わっているが、それ以外の項目の経営改善の目標の要旨は、つぎのようなものであった。

 ①荒廃桑園の整理縮小によって自給食糧の生産に努力し、農産物の直接利用をはかる。②桑園に自給肥料を施用することによって地力を高め、水田、普通畑において二毛作を実行し、ひいては土地生産力の維持増進をはかる。③養蚕に多くを依存しているため、年間労働時間が一人あたり一五〇日程度にしかならず、家族労働の「総合能率」を増進し、自家労働で家畜を飼育し、労働の適正分配をはかる。④家族経営では、いわゆる生産費としてみられるものは現金支出だけであるから、これを防止することが経営改善の主要な目標である。⑤農作業を共同的におこない、農産物の共同販売、農業・生活物資の共同購入によって、農家・消費者として「搾取(さくしゅ)される利潤(りじゅん)」の流出を防止する、としている。

 いっぽう、更級郡真島村の耕地は田一五〇町歩、畑一七一町歩(うち、桑園一五二町歩)であった。農林省経済更生部『優良村に於ける産業組合の経済更生事例』(昭和八年三月)によれば、同村の農村経済更生計画樹立方針のうち農業経済改善の目標として、豊栄村と共通する部分が多い。主要作物の増殖改良をはかることも同じであるが、異なるのは、田植えと春蚕の掃き立てを早め、裏作麦の早生(わせ)種を栽培すること、米の品位向上のための稲架(はさ)(はぜかけ)を奨励すること、米麦の品位向上をはかるために品種の統一をはかること、大麦を小麦に作付けがえすることなどにあらわれ、伝統的水田二毛作地域のきめ細かさがよくあらわれている。