国際理解から国際交流へ

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戦後、海外の思想・制度・文化の理解や交流のため、英語力の必要性が高まり、「英語会話」などのラジオ講座や進駐軍放送・外国人牧師を利用して英会話力を伸ばすものもいた。昭和二十四年(一九四九)の長野平和博覧会開催を契機に、松橋久左衛門市長が占領軍に働きかけて誘致(ゆうち)した「アメリカ文化館」(のち、長野日米文化センター)も書籍や新聞、外国人の講演や映写会などにより、理解を深める場となった。

 青少年赤十字活動を始めていた若槻小・東部中・長野北高などには、外国から親善アルバムが送られてきた。互いの文化を知り、生活意欲を高めて国際親善をはかるものであった。二十三年、後町中学校に送られてきたアルバムには、アメリカの写真・絵・図とともに、「日本の皆さんは何を食べていますか。お家はありますか」と書かれていた。これをみた後町中学校三年生は、国をこえた友情と相互理解を深めようと意気にもえ、産業・衣食住の変遷・学校生活などについて、絵図を多く取りいれた返答のアルバムを作成して、アメリカへ送っている。

 そのほか、当時の子どもたちが外国に親近感を深めたものには、①児童養護施設に贈られたアメリカ合衆国の宗教団体などからの粉ミルク・乾(ほ)しブドウ・洋服・洗濯石鹸(せっけん)など、②アメリカ赤十字社からの石鹸、タオルや鉛筆・消しゴム・ノートなどの学用品、③ユニセフから給食用に給与されたミルクなどがあった。

 人的交流としては、長野高校(昭和三十二年長野北高校を改称)三年山田作衛が昭和三十四年八月、「青少年赤十字国際スタディセンター」(カナダのトロント、一二日間)に、日本代表四人の一員として派遣されている。

 アメリカ合衆国のクリアウォーター市とは、倉島至市長へのアメリカ招待が縁で昭和三十四年三月に姉妹都市提携が成立し、親善使節団の相互訪問をはじめ、英語教師・交換学生や体験留学生などの相互派遣がつづいている。平成元年(一九八九)からは市内中学生の代表が、六年からは皐月(さつき)高校生徒も派遣され、ホームステイをしてアメリカの学校生活や家庭生活を直接体験している。また、三年からは、クリアウォーター市の中・高生徒のホームステイ受け入れがおこなわれている。十三年四月までの派遣数は五三九人、受け入れ数は三〇二人である。

 また、長野市は、日中国交回復(昭和五十三年)で友好機運が高まる昭和五十六年四月、中国石家荘(せっかそう)市と友好都市締結をし、交流を始めた。五十七年三月下旬には、中学生代表による友好訪中団派遣も始まり、見聞と交流体験による研修を積んでいる。これまで、長野市から「友好果樹園」「希望小学校」やスキーなどを寄贈し、交流団の相互派遣・受け入れがおこなわれた。平成十三年四月までの、友好訪中団派遣は五一団・五八〇人、友好代表団・研修生などの受け入れは八〇団・五八六人に達した。

 児童・生徒の国際交流は、平成十年二月の長野冬季オリンピック大会の「一校一国運動」をきっかけに、花が開いた。各学校と個別の国との直接交流が、選手・大使館員・留学生・来日した子どもたちとおこなわれた。その後も、作品交換のほか相互訪問交流もつづき、児童・生徒の視野と心を広げている学校もみられる。


写真162 ルーマニア児童と再会を喜びあう徳間小学校児童 (徳間小学校提供)

 このように活発化した国際交流では、昭和四十三年(一九六八)に設立された長野国際親善クラブを中心に、来訪する外国人のホームステイ先や交流の世話をつづけている。多くの受け入れ家庭では、とくに食事・入浴・トイレなどに気をつかったが、ともに生活するなかで相互理解が深まった。なかには、ホームステイをきっかけに相互訪問したり、結婚式に招かれたりして、日本人と変わらないつきあいをしている家庭もある。


写真163 長野びんずるに参加した国際連
(長野国際親善クラブ提供)

 オリンピック後の長野市では、エムウェーブなど施設の充実、大都市圏との時間的短縮により、国際会議観光都市としての性格もみせている。国際植生学会議をはじめ大小さまざまな諸会議・セミナー・展示会などのコンベンションが誘致・開催され、平成十四年(二〇〇二)度では、一二四団体・約一二万五千人が利用している。

 国際化がすすむにつれ、中国帰国子女・外国籍子女と学校で顔を合わせたり、机を並べたりすることも多くなった。平成十二年度市内の小・中学校には、中国二六五人・ブラジル二八人など、一四ヵ国籍の二三〇人が学んでいる。そのほか日本国籍は取得したが、ことばで困っている児童・生徒もいた。そのため県教委では、重点的に日本語指導教室・帰国子女学級を設けて、個別指導につとめている。市教委でも、外国籍の児童・生徒が通学している学校に、個別指導をする日本語教室指導員を巡回派遣している。月二回程度の個別指導ではあるが、ことばが通じあって緊張がほぐれる機会として、児童らは指導員を待っていることが多く、遠足やスキーなどの校外行事にも付き添ってもらえるので、安心して参加している。また学級で、外国籍親子から料理を教わり、味わう会をもつなどの働きかけもある。交流が深まるにつれ、奇異(きい)の目を向けてからかう児童・生徒はほとんどみられなくなっているが、相互に信頼しあえるような、心の通じあいの広がりが求められている。