地縁や血縁に支えられて成り立ってきた村社会や家族関係が、平成年代の今や危機にひんしている。ある者は山村の家を立ち去り、より豊かな生活を求めて平坦(へいたん)地の団地住まいを選び、またある者は家業の店を継がずに会社員となり、郊外の団地住まいを選択する者もでてきた。その結果、山間部の村々の過疎化とともに市街地の空洞化が顕著となってきた。家業である農業や商業を継がない若者が増え、主(あるじ)のいない空き家だけが取り残され、朽ちていく現状である。
西山とよばれる市街地西部の山間地域には、このように見捨てられた住まいが昭和四十年代からあちこちで見かけられるようになった。その少し前には、若者だけが生活に便利な平坦地に造成された団地住まいをして、年寄り夫婦が家屋敷や田畑を守る傾向が強かった。その後、片親が亡くなることにより、親一人住まわせておくことも心配となり、親を団地によびよせるケースが多くなった。それまで親任せであった会社勤めの息子夫婦も、休みの日ごとに田畑や住まい管理のために山合いの実家に通うことが多くなる。それもままならなくなると管理放棄となり、荒れ果てた住まいは自然に帰っていくのである。ただ、どこに住もうと、先祖を祀(まつ)る墓への参拝だけは繰りかえされているが、その土地に生まれ育った体験がない孫たちの代になるとそれさえもおぼつかなくなり、その土地で住まうことの意味や記憶は喪失されていく。
また、旧市街地のなかには、かつての活気に満ちた街の面影は見られず、シャッターが下りたままの商店も目につき、店跡を駐車場にするなど虫食い状態の町並みと化したところもみられる。その傾向が強まると、店をたたんで郊外に移住したり、老夫婦は店番をしながらそこに寝起きしていても、若夫婦は郊外に住みながら店に通うことも多くみられるようになった。いきおい子どもの姿が減り、ドーナツ化現象にともなう中心街の小学校の統合問題が現実化してきている。
山間の農村部も市街地の商店街も、高齢化とあいまって、住まいを見捨てる傾向が近年いっそう顕著となってきたのである。しかしそれは、従来からの固定化された地縁・血縁社会から脱皮し、新しい住まいのあり方を求める動きでもあった。その土地に住まうことがなくても、家人は新たな地で新たな生活を創造しているのである。