若者の郊外流出は山間部も商店街も同様であるが、それに手をこまねいているだけではない。善光寺界隈(かいわい)に古くから見られた土蔵造りの商店街では、かつての活気を取りもどす努力をするところも増えてきた。アーケードを取り払い、広い空が見える明るい町並み造りを進めている街もある。大型店に依存することなく、いかに客足をよびもどすかは個々の店の創意工夫も必要であり、街活性化の新たな取り組みが市をあげて始まっている。
冬季オリンピックの開催によって世界各地から多数の人びとを迎え、異文化交流を深めた体験は、市民にとって長野市のよさを再認識する機会となった。これを機に、善光寺界隈を中心とした土蔵造りの町並みの再構築へと発展したり、あるがままの伝統文化や自然環境を大切にした住まいづくりが展開されているのである。
安茂里地域はかつて杏(あんず)の里として知られた純農村地帯であったが、昭和三十年代からの宅地造成により、高層住宅団地や大きな団地が出現し、人口増加がはなはだしい。そうした高層団地の窓にも、季節になると洗濯物といっしょに鯉のぼりがつり下げられるなど、子どもの成長を祝う家人の心情は消えることなく脈打ち、伝わってくるのである。また年末になると、新しい住宅団地のどこの家の玄関にも門松が飾られる。安茂里小市の御堂沖(みどうおき)団地では、その土地の民俗文化の継承をみることができる。サッシ戸の玄関では門松を打ちつけることもできないが、この地特有のごぼう締めの門松をはじめとする幾種類かの門松が飾られる。団地造成がなされた当時は生まれ育った土地の門松を飾る傾向にあるが、その後は団地内の大勢に左右されて統一されていく傾向がみられるなど、各地から移り住んできた住人も、時がたつにつれてその土地に馴染(なじ)んでいくのである。