秋風立つ

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生温かくぬるんだ田んぼの水に入って、這(は)うようにして取る田の草も、三番草ともなると伸びた稲のなかに埋もれてしまい、背中を焼く太陽の暑さとムッとする湿気に汗びっしょりになってしまった。田の畦にはアゼマメが茂り、畑には黄色のカボチャの花が咲き、白いトマトの花、紫色のナスの花が彩りを添える。そしてまだ若い小さな実が徐々にふくらんでゆく。ホウズキの実も色づき、サトイモもその葉をさらにひろげる。朝早くサトイモの葉にたまった露を集めて墨をすり、短冊に願いを記すのはタナバタ祭りであった。善光寺仁王門のところで売っている竹を買ってきて、その短冊や紙で作った人形や着物をつるすこともあった。色とりどりの飾りをつるした竹は八月六日に縁側や庭先に立て、野菜・果物などをお供えしたが、ナスやキュウリで馬をつくってお供えするところもあった。これらは翌日川に流したが、短冊をつるした竹は大根に虫がつかないとか、よく育つようにとかといって大根畑にもっていって挿しておくこともあった。ネンブリナガシといって水浴びをしたり、髪を洗ったり洗い物をしたりすると汚れがよく落ちるなどともいった。また、この日だけは野菜物を盗んでもよいなどというところもあった。

 八月七日はお盆の墓掃除の日としているところが多いが、八月一日をウラボンとよんで墓掃除をするところもある。仏さんがこの日に地獄の石の戸を開けて出てくるからといって、イシノトとよぶこともある。善光寺では七月三十一日にオコモリのために大勢の人びとが訪れる。盆の準備が始まるのである。商店やスーパーマーケットなどでも盆商品の売り出しが始まる。八月十二日の夕方から夜にかけては善光寺門前の中央通りでお花市(はないち)が立ち、盆花や盆火で焚くカンバ(白樺(しらかば)の樹皮)・ホオズキ提灯(ちょうちん)などの盆商品を買う客でにぎわう。

 盆棚はつくらないで仏壇に野菜や果物などをお供えするだけの家もあるが、ナスやキュウリで馬・牛をつくったり、ナスをさいの目に刻んで供えたりするところは多い。十三日までに盆の準備は終える。新盆(あらぼん)の家では軒先に提灯を下げた。十三日は迎え盆で早めに夕飯を食べてから、ホオズキ提灯を下げて仏さんを迎えに行く。

 墓の前で迎え火を焚(た)いてろうそくにその火を移して家に帰り、門口(かどぐち)でもう一度迎え火を焚いた。カンバやムギカラなどを燃やしながら「ジイサン バアサン この明かりで おいで おいで」と口々に唱えた。十四日の朝はナス餡(あん)のオヤキを蒸(ふ)かして仏様に供え、家じゅうで食べる。夕飯には麺類(めんるい)を食べることが多い。盆の期間内にはかならずエゴを食べるというところもある。かつて十四日・十五日の夜にもカンバを焚いて遊び火といい、「ジイサン バアサン この明かりで お遊び お遊び」と唱えたところもあったが、しだいにおこなわれなくなった。


写真175 迎え火(吉田 平成8年)

 十六日は送り盆で、盆のお供えを下ろし、門口と墓の前で送り火を焚く。昼にナスのウスヤキ(センベイ)を焼いて仏さんにお供えしてから送り火を焚くというところもある。「ジイサン バアサン この明かりで お帰り お帰り」と唱えたという。

 「盆が過ぎると 秋風がたつ」といい、吹く風もさわやかに感じられ、季節は一気に移り変わることになる。