善光寺門前町として発展してきた長野の町は、県庁が置かれ、長野駅が開業したりして、長野県の政治経済の中心地として、いっそうその発展がはかられるとともに、市街地が拡大してきた。かつて桑畑であったところにもつぎつぎと新しい町ができた。そして、昭和初期における緑町の商人は新興の意気に燃えて、古くからの町の商人とは、商売にたいする意気込みが違っていたという。
こうした市街地の拡大とは別に、昭和三十年代なかば以降の、いわゆる高度経済成長期には、都市域にたいする人口の集中がみられ、都市近郊につぎつぎと住宅地が造成されはじめた。市街地と村とを境していた農地には家々が立ち並び、町と村との境は明確でなくなってきた。個々に家が建てられるだけではなく、長野県企業局による住宅団地造成をはじめとして、大小さまざまな団地造成がおこなわれはじめた。近世以来四、五十戸であった集落が、四百世帯を数えるまでになったり、あるいはまったく新しく何百世帯何千人などという住宅団地が突如出現するというようなこともあった。
団地などとよばれる集団住宅地には、出身地や生活形態などを異にする家族や人びとが集い、生涯をともにする社会を形成することになる。それは自然発生的に形成される町ではない。また、以前から存在していた住宅地を母体にして、形成されるものでもない。地域と建物は計画的に造成されながら、住まう人びとの出自(しゅつじ)はまったく異なる社会であり、集う人びとの経験したことのない地域社会である。生活体験や認識を異(こと)にする人びとが、まったく新しく形成する生活集団である。
そうした地域社会が十分に機能するために自治会がつくられる。自治会は行政の下部組織ではなく、新しく築こうとするみずからの生活社会をよりよいものとするための任意組織である。
自治会は入居当初、生活環境を整えるために行政機関と交渉をしたり、住民の意思の疎通をはかるために機関紙などを発行したりすることがおもな仕事になる。ある程度生活環境が整ってくると、住民同士の親しみと、子どもたちの心のよりどころとしての故郷づくりが大きな課題となる。とくに生まれた子どものお宮参りをする神社の問題などを契機にして、浅川団地(西条)の浅川神社や、伊勢宮団地(安茂里)の伊勢宮神社、若穂団地(若穂)の天命稲荷(てんめいいなり)などのように、神社を勧請(かんじょう)したり地域の小祠(しょうし)を団地の神社として祭りをおこなったりしはじめる。小正月の火祭りであるドンドヤキ(ドンドンヤキ)を子どもたちのために始めるところは多い。そのほか夏休みを中心として七夕祭りや盆踊りなどさまざまなイベントをおこなう。大人が子どものころに体験し、今でも懐かしく思いだされるような行事を、子どもたちのためにおこなおうとするのである。
こうしたさまざまな試みによって、新たに形成された住宅地も今は高齢化に見舞われているところが多い。つぎの世代に贈るためにつくった新しい故郷は、今を生きる第一世代の住民の生活を維持するために、また新しい問題が生まれている。