商都長野の秋の終わり

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冬の訪れを夜空に告げるえびす講の花火は、秋の実りの豊かさと師走(しわす)のあわただしさとの交錯(こうさく)を演出する行事であった。近世以来、村の神社の秋祭りに花火を奉納するところは少なくなかった。そうした花火を背景として、町の華やかさと豊かさを演出する花火がえびす講の花火であった。安茂里の犀川神社や新諏訪町の諏訪神社の花火は氏子が中心となり、えびす講の花火は長野商工会議所と長野商店会連合会との共催でおこなわれているが、いずれも伝統的な地域社会集団を基礎としている。


写真183 えびす講(岩石町西宮神社 平成7年) (長野商工会議所提供)

 この冬の風物詩ともなっている花火とは別に、平成五年から十二年まで「ニコニコお祝い花火」が夏におこなわれていた。これは「夏にも花火を」という市民の願いのもと、長野商工会議所・長野商店会連合会・長野市・長野市観光協会・長野市区長会・長野青年会議所が組織する委員会が実施した。この花火大会もまた行政主導で、町のにぎわいを期待するものではあったが、花火を傍観者としてみるだけのものではなく、市民参加型のイベントとしてつくりだしたのである。つまり、花火はさまざまな規模の企業や個人商店の宣伝や顧客への感謝のメッセージなどばかりではなく、個人的な祝いや願いのこめられたメッセージとともに打ち上げられたのである。そのメッセージは、プログラムや新聞に掲載され、あるいは当日打ち上げられる前に放送などによって周知された。打ち上げられた花火は個人の想いをになって夜空に開いた。確かに、花火に託したメッセージは、直接の相手のみではなく、より広く伝えられ、その願いや心情を共有された。だが、そこには神という超越的な存在はなく、個々の人びとが、そのときどきに共有する人びととの関係が強調された。そうした個人ごとに異なる、複雑多岐な生活を営む日々であればこそ、メッセージの発信者と見物人とは花火という瞬時に消え去る華やかな時を共有し、ささやかな一体感、共感を共有することが求められたのである。


写真184 えびす講の花火(平成15年)
(長野商工会議所提供)

 それぞれが、それぞれの時間を、異なるリズムによって送る生活であれば、地域社会におけるハレとケとのあり方は不明確にならざるをえない。かつて地域社会において共有していた、日常の生活のなかに時折はさみこまれる非日常的な時間も、個人ごとに異なる。ある人の労働から解放されたハレの時間は、他の働く人の時間のなかで消費される。かつて祭りのときにのみ開放された酩酊(めいてい)と興奮の時は、町にはいつでも準備されている。そうした時を求め、ハレの時間を消費するために訪れる町は、いきおいハレの時間にいっそう埋没する。そしてその雑踏のなかで人びとは、みずからの祭りを探し、つくりだしている。