文化財名
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大太刀 (青江)銘備中国住人□□ 延文六年二月日
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文化財名(かな)
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おおたち あおえ めいびっちゅうのくにじゅうにん えんぶん
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欧文タイトル
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資料名に関する注記
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差出 作者
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受取
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製作者
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年代
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延文6年(1361)か (銘有)
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年代終
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員数
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1口
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形態
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寸法(図録用)
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大きさ(縦)
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大きさ(横)
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大きさ(高さ)
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材質
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形態に関する注記
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保存状況
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収録時間
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縮尺
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その他の注記
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言語
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ISBN
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ISSN
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テーマ
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4松代城下町に伝わる武家文化
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地区別
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松代
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関連する人物・団体
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検索用時代区分_文化財
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南北朝時代
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検索用時代区分_文化財コード
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検索用時代区分_文化財終
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検索用時代区分_文化財終コード
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内容細目
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解説
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この大太刀(おおたち)の持ち主は真田源太左衛門尉信綱(1537~1575)だった。信綱は武田信玄の武将真田弾正忠(だんじょうのじょう)幸隆の長子で、上田城主・真田安房守昌幸の兄、また真田信繁(幸村)の伯父にあたる人である。 武田勝頼に属して、天正3年(1575)、織田・徳川勢と参州(三河=愛知)長篠で対戦し、この激戦で弟兵部丞昌輝とともに討ち死にした。そのときこの大太刀をふるって奮戦したといわれ、物打ちのあたりに大きな刃こぼれがある。真田家はこの刃こぼれをそのままにして後世に伝えてきた。 長さ103㎝。銘に「備中(びっちゅう)国住人□□ 延文六年二月日」とある。刀匠名はかすれて読めないが、「真田家譜」には「青江貞次の鍛えたる三尺三寸余りの陣刀」と記録されている。 太刀の姿は長大で、切先(きっさき)はよくのび、地もよくしまって縮緬肌(ちりめんはだ)のようである。刃文(はもん)は元(もと)の方に逆足(さかあし)が見事に入り、上(かみ)の方は中直刃(なかすぐは)となる。彫り物は棒樋(ぼうひ)に添樋(そえび)を彫っている。 備中青江派の傑作である。
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解説(英語)
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来歴
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来歴(英語)
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所在
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長野市松代町松代(真田宝物館)
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文化財番号
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19
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管理記号
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カテゴリ区分
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無し
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文化財種別
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工芸品
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大分類
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指定等文化財
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中分類
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小分類
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文化財情報
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国指定/重要文化財/昭和 36年2月17日/1961/2/17
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上位階層目録ID
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関連目録ID
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manifest.jsonへのURL
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参照データ
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長野市行政地図情報
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https://www2.wagmap.jp/nagano/Map?mid=24&fid=380-48&mps=5000
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関連画像URL
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自治体史掲載
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出版物・関連資料
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翻訳の言語
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権利関係・二次利用条件
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CC BY-NC-ND(表示-非営利-改変禁止)
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原資料の利用条件
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権利関係・利用条件に関する注記
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緯度・経度・高度に関する注記
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キーワード
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備考
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DOI
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既刊目録名
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デジタル化の経緯に関する注記
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