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長野市/長野市デジタルミュージアム ながの好奇心の森

  1. 長野市
  2. 長野市文化財課・埋蔵文化財センター(資料グループ)
  3. 真田信之の墓(目録)
  4. 真田信之の墓
目録内容
文化財名 真田信之の墓
文化財名(かな) さなだのぶゆきのはか
欧文タイトル
資料名に関する注記
差出 作者
受取
製作者
年代 1658年(万治元年)
年代終
員数 1基
形態
寸法(図録用)
大きさ(縦)
大きさ(横)
大きさ(高さ)
材質
形態に関する注記
保存状況
収録時間
縮尺
その他の注記
言語
ISBN
ISSN
テーマ 4松代城下町に伝わる武家文化
地区別 松代
関連する人物・団体
検索用時代区分_文化財 江戸時代
検索用時代区分_文化財コード
検索用時代区分_文化財終
検索用時代区分_文化財終コード
内容細目
解説  大鋒寺(だいほうじ)の墓域にあって、扉の付いた門と塀に囲まれた一角に建てられている。高さ3.3mの宝篋印塔で、塔身の正面に「大鋒寺殿徹巌一当大居士」、その下の基礎の正面には三行書きで、中央に「骨頭片々即法身」、右に「万治元戌年」、左に「十月十七日烏」と陰刻されている。
 真田信之は松代真田藩の始祖で、真田藩の基礎を固めた藩主である。元和8年(1622)10月、上田城から移封され、埴科・更級・水内・高井の四郡10万石を領知し、名君とうたわれた。
 明暦2年(1656)10月、家督を子の信政に譲って近臣とともに柴の館(いまの大鋒寺の地)に隠居し、2年後の万治元年(1658)、93歳で死去した。
 信之の墓碑はその後まもなく建立されたものと思われる。かたわらには、信之の後を追って自殺した家臣鈴木右近の墓碑も建てられている。また、文政7年(1824)3月、8代藩主幸貫によって石灯篭(とうろう)と石鳥居が新しく造られた。
 なお、大鋒寺は信之の法号によって柴の館をそのまま寺としたとも、館の用材を使って改築したものともいわれる。
解説(英語)
来歴
来歴(英語)
所在 長野市松代町柴
文化財番号 107
管理記号
カテゴリ区分 無し
文化財種別 史跡
大分類 指定等文化財
中分類
小分類
文化財情報 市指定/市指定記念物/昭和 42年11月1日/1967/11/1
上位階層目録ID
関連目録ID
manifest.jsonへのURL
参照データ
長野市行政地図情報 https://www2.wagmap.jp/nagano/Map?mid=24&fid=4-48&mps=5000
関連画像URL
自治体史掲載
出版物・関連資料
翻訳の言語
権利関係・二次利用条件 独自規定あり
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記
緯度・経度・高度に関する注記
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備考
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既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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