解説
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善光寺木遣り(①きやり)は、古くは善光寺造営にかかわる用材の運搬時に唄われたと伝えられており、寛文六年(1666)、宝永四年(1707)、善光寺再建時に、江戸棟梁によって伝えられたものが口伝(くでん)で今日まで唄い継がれたものとされている。 現在も建築行事等に唄い継がれているが、これに関する文献等はなく口伝によって伝えられている。一説には鎌倉の鶴岡八幡宮造営に携わった職人の系統が、善光寺造営に来て残していったとも伝えられている。 善光寺御開帳の回向柱を松代より運ぶ時、堂童子の日待占行事 節分会、御祭礼の山車を曳(ひ)くとき、その他建築木材の曳き出し及び上棟会などに棟梁及び鳶職等の職人多数で行われる。また、善光寺木遣りの内、道中木遣りは路上を移動しながら唄うため場所は特定しないが、祝儀の場でも行われる。 その扮装は、作業服である紺染めの股引(ももひ)き、腹掛け吉原絆天、下着は鯉口シャツ、籠目柄の手拭でねじり鉢巻、紺足袋に白緒の草履をはく。白扇を持ち、中骨一本の半開きとして口元を隠し、先頭に善光寺の紋入り弓張り提灯を持つ。 善光寺木遣りには以下のようなものがある。 ① 真鶴(まなづる)・・・・・・スタートの合図。 ② 小手子(こでこ)・・・・・道中木遣りで平坦な道を曳く時唄う。 ③ 大手子(おおでこ)・・・・・(大きな梃子の意)坂道にかかった時に唄い、気合いを入れるために唄う。 ④ 先綱(さきづな)・・・・・・慶祝時に唄う。三 曲、五曲の奇数をよしとする。 ⑤ 鎌倉(かまくら)・・・・・・道中木遣りのひとつで、棟梁送り、結婚式等に唄う。
いずれにしても、長野市特有(北信流盃事(ほくしんりゅうさかずきごと)と共に善光寺平特有)のものなので、保存して後世に伝えたい。
注①木遣り(きやり)・・木遣りは元来大きな木材を曳(ひ)き出す時の音頭(おんど)やかけ声として生まれたもの。
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