解説
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荒神堂は、縁起が現存していないため、その創建の由来などは明確ではないが、海津城築城の際にはすでに荒神堂は存在し、当時つくられた町名の由来と伝えられる。 この堂の屋根瓦は、屋根鬼瓦の中にあった木札により、弘化2年(1845)に葺き替えたことが分かる。入母屋造、妻入の向拝付きの建物で、外陣・内陣・内々陣から構成されている。向拝柱の木鼻には獅子や象、正面虹梁の菊花と葉、その下の持ち送りには波間に遊ぶ神亀、中備の龍・手狭の松鶴などの彫刻を配し、妻飾りとともに正面を重視した外観となっている。また、内々陣には精緻な彫刻を施した極彩色の宮殿に本尊を祀る。背面は旧千曲川流域沿いの傾斜地になっていることから、床下は特殊な高架建築構造となっている。
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