解説
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白鳥神社は、松代藩初代藩主・真田信之が元和8年(1622)に上田より松代に移封された時、真田家の鎮守社として寛永元年(1624)に海野宿に鎮座する白鳥神社を現在地に勧請したことに由来します。現在の社殿は、文化10年(1813)に六代藩主・真田幸弘と七代藩主真田幸専(ゆきたか)を願主として改築されたものです(棟札)。白鳥神社境内地には、多数の建築物群が存在しますが、三社本殿、拝殿、絵馬殿の三棟が棟札、建築様式等の点から文化10年の建築とするものです。 三社本殿は、三間社流造の建築物であり、これだけの規模を有するものは少なく、妻飾は、構造的に古い形式の猪子扠首(いのこさす)となっており、固有性を示しています。 本殿の装飾は、大変に質素な建築となっているのに対し、拝殿は目に触れることを前提として建設されているため、本殿に比して、彫刻を多用し、内部に障壁画、天井には格天井が張られ、格式ある空間として造られています。また、拝殿の床から二段上がった神官の空間である祝詞殿を突出して設けるなど、立地環境との関わりで特異な空間構成となっています。従って拝殿の屋根伏は、向拝も含めると十字形を呈する屋根形状となっています。 絵馬殿は、正面妻側に切妻屋根を複合した特異な造りとなっており、大絵馬の掲示に相応しい空間を造り出しています。全体の屋根伏は、撞木造りのような独特な形状となっています。 真田信之以来の歴史を伝える本建造物は、近世社寺建築の中での村落に立地する神社とは、全く趣を異にする歴史性と建築特性を具備するものです。
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