研究のあと(2)

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この長柄の地の周辺からは大森金五郎(長南町又富)白鳥庫吉(茂原市長谷)八代国治(市原市上高根)という日本の歴史学の開拓者ともいうべき、すぐれた人が輩出したのであるが、これらの人びともこの郷里の周辺にはほとんど目を向けず、大森金五郎著『史伝史話』(大正一四年刊)には、いくつかの房総史関係に言及したものがあるが、長柄に関するものでは、笠森寺縁起について述べた一文があるのみであることは残念である。なお長柄に関する研究者として忘れてはならない人として、内田邦彦氏と江沢半氏がいる。内田氏は茂原市真名(まんな)の医師で、早く『南総の俚俗』(大正四年刊)を自家出版した。後に民俗調査を目的に青森県に赴き、僅かな期間ではあったが、その採訪の結果は『津軽口碑集』(昭和四年郷土研究社刊)としてまとめられ、日本の民俗学の初期の業績として、今日でも高く評価せられている。昭和四二年二月二七日八五歳の高齢でなくなられたが、最後まで方言・民俗の調査を続けられたが、惜しい事にこの貴重な晩年の調査は公刊せられていない。この『南総の俚俗』には、長柄の地から採集せられた民話や、諺がいくつか採集せられていて貴重である。江沢氏は睦沢村佐貫の人、中葉とペンネームを記して、動植物から考古学、あるいは絵馬や広く民俗・歴史一般に、豊富な智識と深い愛情をもち、多くの論考を発表せられ一の宮町史・長南町史にも発表せられた。
 昭和四〇年以来長柄町史の編纂委員としても参加せられ、採訪に努力せられたが、残念なことに昭和四七年四月急逝せられた。長柄に関するものとしては、僅かに『長柄山往来』と題して四四年七月自らペンをとり、騰写版に印刷せられたもの五八頁の一冊子を遺されたにすぎないが、「このノートは私如き初学のための手引きにすぎず、寺子屋時代の往来物と同然である。その往来途上で管見にふれた考古資料、或は文化財に就いての蛇足は後日にゆづりたい」とあとがきに記しているが、遂にその豊富な智識を発表される事なく、この世を去られてしまった。
 以上のようにこの地に関する研究は、内田・江沢両氏共にその智識を公けにされずに逝去せられたのである。なお現在刊行中の『千葉県史料』は基礎的史料の提供という点で劃期的なものである。