このような戦争や、宗教的な廃棄のほかに、恒常的な破棄亡失が続けられている。それはふすまの下張りや、特に多いのは製茶の際のほいろにはる為に良質の和紙が必要のため、古書や文書類を使用した例が非常に多い。大津倉の鶴岡松樹家は旧名主であるがたまたまふすまの新調を機に、古いふすまの下張りを調べたところ、貴重な宗教関係の文書が発見されている。
さらに特に戦後の数年間紙の不足からその再生のために、業者が各戸を歴訪して紙屑としての古書のたぐいを買いあさったが、このために近世から近代にかけての、おびただしい量の文献が驚くような廉価で消失して行ったのである。また現に進行中のものに家屋の新築に伴う、旧蔵の文書類の無差別な廃棄がある。その大きな原因は大部分の文書が、すべて毛筆で達筆に記されている為に、今日の活字に馴れたものにとっては読みがたく、その内容が不明である事と、それらは皆時代を経ているので黒く汚れているものが多く、新しい住居にふさわしくない事が大きな原因であろうが、この項の筆者の入手した絵巻物一巻は、もし上下完存していたならば高価な近世初期の製作であったが、これは刑部の某家が、新築に際して箱と共に裏の川に投げ棄てたものを、偶然左官職のものが拾得したものであった。