私たちの普通にいう歴史ということばは、辞書によると、「(一)過去の人間生活に起こった事象の時間による変化、またそのある観点から秩序づけられた記述、(二)ある事物の時間による変化」と説明され、また歴史学については、「(一)過去の人間生活の諸事象を研究する学問 (二)特に文字によって書かれた、史料(文献)を基本的な材料として、過去の人間生活の諸事象を研究する学問、考古学民族学などと区別される」といっている。私たちが此の書を「長柄町史」とよぶのは、すなわちこの長柄町とよばれる、ある一定の地域の過去の歩みを、明らかにしようとする目的のもとに、ここにかつて住み現在も住んでいる人たち、すなわち私たちの先祖のことを知りたいという考えから出発している。そしてこの様な過去を明らかにしようとする考えは、昔の人も持っていたのであって、その試みは序章でふれたごとく、この地域に対してもいくつかこころみられて来たのであったが、それらは全て、他から眺められ記録されたものであった。
今ここでなされようとしていることは、この地域に在住している人が中心になって、過去を明らかにしようとしている点が、一つの特色ではなかろうか。したがって愛情と熱意は先人にまさるものがある事は当然だが、同時に郷土愛に燃えるあまりに「わが仏尊し」(自分のものが最もすぐれている)という、錯覚におちいる恐れが多いし、また複雑な過去の長い時間に起ったさまざまな現象は、到底僅か数名によって短かい時間に解明せられる事は不可能である。また歴史の学問は日に月に進歩していて、その新しい結果に通暁することもまた不可能であり、相対立する学説のいずれが正しいかの判定も困難である。以下述べようとすることも不完全な誤解を重ねるばかりでなく、おそらくは近い将来根底からその誤りが、明らかになるようなことが起るにちがいないが、あえてその誤りをおそれず、この長柄の過去の諸現象の変転を明らかにする努力を試みたい。
特に長柄の未来を背負う若い人たちが、この書の中から問題を見出し、究明しようとする志を抱いて努力して頂くことを切に期待したい。また疑問があったら質問をよせて頂きたい、また歴史科学は、くりかえしの出来ない一回だけの現象である事が、自然科学と比較した場合の大きな差異だが、しかしまた「歴史は鏡である」という古くからの考えのように、未来に対する大きな教訓を、くみとる事の出来るものであることも忘れてはいけない。特に時代の変ろうとする時、前時代的なものすべてを無価値なものとして、無差別に棄てた結果貴重な文化財を失った過去のあやまちだけはくりかえしたくないと思う。