この長柄町は房総半島のほぼ中央部(東経一四〇度一四分北緯三五度二六分)に位置し、長生郡の西端にある。東西九キロ南北八・五キロ面積は四七・〇四平方キロ、その地形はおよそ三つに分けて考えられる。北西部は洪積台地帯で市原市につらなり、南部は丘陵に浸蝕された谷が入組んだ地帯で長南町に境を接し、東部は沖積期平野で茂原市に隣合っている。さらに地図の上をたどって見ると、ほぼ長柄町の中央を東北部から西南部にかけて、味庄・別所・山根・桜谷・針ケ谷・金谷・刑部をつらねる線の北側に、きり立ったような急傾斜の斜面がそびえ立ち、権現森(一七三米)高星山(一四九米)が一きわ高くその姿をあらわして、遠くからもその姿を望むことが出来るのだが、一度この台地に上ると、西北方にかけてはなだらかな緩傾斜となっていて、ほとんど勾配を感じさせない。
これに対して東南部は川に沿ってやや広いたんぼがひらけ、それを囲むように深く長い谷が丘陵地帯にきれこんでいて、高い所から腑観すると、波のように起伏が続いているのを見ることが出来、台風・大雨のあとなどは必ずと言ってもよいほど崖くずれがあり、赤い地肌がくっきりと緑のなかに露出している。千葉から茂原もしくは長南へのバス路線があるが、それに乗っていると追分のあたりから、急に屈曲の多い長い下り坂が続き、それは鼠坂も針ケ谷坂の場合も同様であるが、周囲の丘の斜面が急傾斜となる。いつの間にこれほど高い所に千葉の方からのぼっていたのだろうかと驚くのであるが、このような地形はどうして出来たのであろうか。この疑問をとくためには簡単ではあっても、私たちの住む房総半島の出来上ったころまでさかのぼらなければならない。