『漢書』(中国の前二〇六~後七年の前漢の歴史)という本が、日本のことを始めて文字で記した文献だが、「楽浪(朝鮮)の海中に倭人あり、分れて百余国をなす」と記されている。ただしこれは日本全国の記述ではなく、現在の北九州地方の情況を記したものといわれているが、この多数の国々は強いものが弱いものを吸収統合して、その数は減り二世紀から三世紀にかけて、いくつかの国に成長して行った。このような傾向は北九州ばかりでなく、山陽・山陰・四国・近畿の各地方でも現われていたであろう。
このころの中国は後漢・魏・晋と王朝が交替するのであるが、この魏の時代は魏・蜀・呉の三国が互に争った時代で、そのことを次の晋の時代に陳寿(二三二―二九二)が、『三国志』という歴史にまとめた。その本のなかの『魏志』に相当具体的に日本のことが書かれている事で有名な「倭人伝」がある。当時日本から中国・朝鮮へ、中国・朝鮮から日本へと使者が送られたが、その使者たちの報告をもとにして、中国から見ればはるか東方の未開の異民族のいる国として、日本のことを記したのであろうが、そのころの日本を知る唯一の文献として貴重である。