邪馬台国

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この中に記されている、卑弥呼(ひみこ)という女性の王をいただいた邪馬台国は、どこにあったのだろうか。近ごろ特にこの問題をとりあげた新聞や雑誌の論説が多い。この長柄の地からははるか離れた問題ではあろうが、一つの常識として簡単にここで触れておきたい。魏志の「倭人伝」によると、乱立状態であった倭の国々を女王卑弥呼が統卒し、数回にわたり魏に朝貢し、その死後男王が立ちまた乱れたが一族の女性、台与を立てて復興につとめたことを記している。
 江戸時代の学者は九州地方の一女酋であるとしていたが、明治以降九州説をとった白鳥庫吉博士(東大)と、畿内(大和)説をとる内藤虎次郎博士(京大)などはげしく論争し、またここが邪馬台国であると、ある地点を指定する説も続出し、数百におよぶ論文や著書があるが、今日もまだ決論は出ていない。日本に最初の統一国家が大和を中心に成立したのは四世紀で、卑弥呼が死んで約一〇〇年後である。もし大和であるならば、日本の国家はこの卑弥呼の勢力圏を受けついで発展したものであり、九州説であれば、卑弥呼が死んで後間もなく大きな変化が起こり、中心勢力が大和に移ったことになるのであるから、日本の国家の成立を考える時には、重要な記録であるがまだ不明の点が多い。(1)