山座王

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この原材料となった黒須家系図は、近世の写しであるが、その最古の部分はニギハヤビノミコトを祖とする、上古において軍事を司っていた物部氏の系図で、この山にまつられた山座王は、ウマシマジノミコトの子だとして、次のごとく生い立ちをのべている。
  山座王、亦クロスヤヤマクラノ王、亦クロスタケルムラジ大人(うし)(ウシは古代の尊称)、亦タケルムラジノ翁、身長一丈二[ ]、竜の如くいかめしい顔、鳳のごとき丸い目をもち、ひげの長さ二尺五寸、此大人は年立ちて祖父を知らないので母に訊ねると、お前のおやはウマシマジノミコトだという。
  それなら我より勝れたものはいないわけだと、朝日の近い国(東国)に向けて出立し、信濃国の山に住みまた総の国に赴いた。そこで山の神の女を妻とし子を雲立王と名ずけた。この山座を不矩(意味不明、安川柳渓は『上総国誌』で「終焉する所を知らず」としている)。日本武尊は国を平げて後、天を翔りて返らず亦返って翔天した。住居の跡に陵を作り、弓矢を納め祭った。
 この文章は末尾に誤写があるらしく、意味の不明の点がある。この資料をはじめて紹介した安川柳渓は「又同氏ノ蔵スル所ノ古伝記一巻アリ、行文淳朴、紙墨古色、尤モ珍重ス可シ。尚且紀事歴々トシテ確拠アリ」と記しているが、その古伝記と称するものは現在は所在不明である。
 またこの系図には、雲立王([ ][ ]比女・八十男命ノ女)―山守大人(磐[ ]比売・山田大人女)―田見大人(矢立比売・上海上造女)―神田野大人(登由[ ]比売)―賀田大人(鏡比売)―山根大人(鳥比売)―木連大人(林比売)―波多大人(多津比売)―多喜根大人(阿良比売)―綱田大人(山矛比売)―多綱大人(神児比売)と、以上一二代まで妻の名が並記せられているのは、古型をのこすものとして珍重すべきであろう。([ ]は原文欠字)