長柄郡には『和名抄』によれば六郷があった。邨岡良弼の『日本地理志料』は現在の地名で、その区域を次のように推測している。
刑部郷。刑部・金谷・田代・高山・大庭・笠森・大津倉・立鳥・桜谷・長富・徳増・小榎本
管見郷。中の郷・高根本郷・中里・古所・八斗・五井・驚・日当・関・福島・小轡
車持(くらもち)郷・蔵持・深沢・長南・千手堂・又富、棚毛・鴇谷
兼田郷。上太田・下太田・桂・吉井・柴名・大登・上野・味庄・船木・真名・庄吉・国府関・長尾
柏原郷・萱場・小萱場・本納・法目・高田・渋谷・腰当・北塚・弓渡・吉田・粟生野・御蔵芝
谷部郷。長谷・内長谷・上林・小林・押日・山崎・芦網・力丸・千代丸
しかしこれは単なる地図の上からの推測であって、吉田東伍『日本地名大辞書』説とも異る所がある。これらの地域も文献に見えるのは、およそは中世以降であって、この区分は必ずしも正確とは言いがたい。鴇谷は地形から見ても、また天王信仰からいっても、刑部郷に当然入るべきであろうと考え、ここでは刑部郷として考えて行きたい。