(1) 安然和尚は同国同郡高師村の生れで道脇(ちわき)氏の出身で、今も産水(うぶみず)の安然井・チワキ池及び安然ヤグラという古い岩窟がある。
(2) 安然開基の道脇寺は往昔七堂伽藍があり、百坊もあったというが、この百坊は附近の末寺の天台宗寺院をいうのを誤ったのであろう。それらは今、ほとんど日蓮宗になっている。
(3) 御廟山安然塚という所がある。そこに廟舎を建てて頂きたい。
(4) 道脇という俗家が現にありチワキ谷(やつ)というところもある。道脇寺村の誕生とも、道脇谷の誕生とも伝える。
(5) 道脇寺が大館判官によって建てられたというが、それは堺町(江戸の芝居小屋のあるところ)あたりのつくりごとを真実だと思っているのであって、時代が合わない。
(2) 安然開基の道脇寺は往昔七堂伽藍があり、百坊もあったというが、この百坊は附近の末寺の天台宗寺院をいうのを誤ったのであろう。それらは今、ほとんど日蓮宗になっている。
(3) 御廟山安然塚という所がある。そこに廟舎を建てて頂きたい。
(4) 道脇という俗家が現にありチワキ谷(やつ)というところもある。道脇寺村の誕生とも、道脇谷の誕生とも伝える。
(5) 道脇寺が大館判官によって建てられたというが、それは堺町(江戸の芝居小屋のあるところ)あたりのつくりごとを真実だと思っているのであって、時代が合わない。
という内容は特に注意すべきであろう。この安然塚は県道をつくる時に半分をきりくずされてしまったが、そこには、はっきりと埋葬された跡が残り、あきらかにある人が葬られ塚としてまつられたことが判明する。また道脇寺は現在の小学校の敷地となったところにあったが、ある年の崖くずれで埋ったという伝承があるが、明治二五年(一八九二)小学校新築工事の地ならしの際、中国の古銭一八〇〇枚が出土してこの伝承があるいは真実かと思わせるものがある。
伝安然の墓