日本史の上で中世の範囲はさまざまに論ぜられている。ここではふつうに鎌倉・室町時代を中世とするが、この長柄に関して言えば、古代と同じく信頼する史料を全く欠いているというべきであろう。この長柄町に直接に関連する中世以前の文書は県の内外を問わず、いまだ紹介されていないし、またこのたびの調査でも、古検地帳の新しい写しが刑部に存したのみで中世の文書そのものはいまだ見出すことが出来なかった。しかし断片的にこの長柄の地名・人名などに言及した文書は、隣接の茂原市長南町にわずかながら存在し、この長柄町にも金石文および仏像・仏画などがいくつか点在するが、残念なことにそれは宗教関係のもので、その背景を語る資料は皆無に近い状態といわなければならない。もちろん中央の文献にも具体的に長柄を語る記載は見当らない。やむを得ず中世の長柄を語るためには、それらの僅少な資料を中心に、確証を欠くとは言え、近世以降の記述、および伝承にたよらざるを得ず、それらを綴るためには臆測の糸によるのほかはないのであって、歴史という名にふさわしくないことは十分に承知しながらも止むを得ない事とお許しをいただきたい。しかしなお未知の史料が何時か出現するかも知れないという希望を私は棄てきれないのであって、この町史を読む方々も多くの関心を持ち教示を賜わることをお願いしたい。