中世となってようやくこの長柄町にもいくつかの金石文や絵画彫刻が見出される。これらはすべてが仏教関係の遺品であるが、しかし残念なことにその背景を説明し得る文献が発見出来ない。止むを得ずこの項も伝説と資料を綴るには推測の糸をもってするほかはないのであるが、この項執筆者の今後の研究課題として、とりあえず知り得た点のみをここでは略述しておきたい。関連文献の全文の紹介・転載も論旨の徹底のためには必要であるが、紙数の関係および本書の性質上、省略して注にそれらのものをあげて、研究を心がける人の参考としたいと思う。