願行は憲静(けんじょう)が名であるが、号の願行上人が有名である。真言の僧ではあるが浄土・律などにも通じ、朝廷よりの帰依を受けしばしば参内して法を説いた。京都の東寺および高野山の諸堂を修築したが、関東に下り、特に衰退していた相模大山寺(今廃)の復興で知られている。永仁三年(一二九五)没、宗灯律師の勅号を贈られた。関東の真言宗は願行上人によって流布・再興したといわれている。鴇谷日輪寺及び妙泉寺は共にその開山とされているが、日輪寺の不動明王はその自刻と伝え、他に鎌倉末期の涅槃図(釈迦入滅の図)がある。なお日輪寺はかつて白山谷にあり、近世初期に現在地に移った。寺蔵の金剛盤の裏には、応永二三年(一四一七)の銘文あり、中世のこの地の政治的状態を知る一つの手がかりであるが、次の胎蔵寺の項で触れる。