5 石高

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 石高とは、大ざっぱにいえば農業生産力を米に換算したものである。しかし、屋敷地にまで石盛をつけているので、もっと広く農業も、含めたあらゆる力、即ち年貢や諸役の負担力と考えられる。
 前表は、いくつかの村の石盛を比較したものである。盛(もり)十五とは、一反歩につき一五斗とれることを示している。四畝ならば六斗である。このような基準により田畑一筆ごとに分米(ぶまい)が決められる。それを合計すると村高となる。
 石盛は、針ケ谷村のように、同村内でも給により異なる。同村内であるから、地力が著しく違うとも考えられない。支配者によりニュアンスがちがうのが、封建社会の特徴である。石盛は原則として坪刈りによってつけるものであるが、一筆ごと全部坪刈りすることは不可能である。また、畑は作物によって生産力がちがってくる。従って、地味・灌漑の便不便・日照度・二毛作の有無・作物の種類から年貢運搬の距離まで考慮して決めたようである。また、石盛が異なっても、年貢徴収ともなれば租率でどのようにでも調節できた。郷土の石盛が、標準石盛より全般的に低いのは、農業後進地域であったしるしかもしれない。