1 旗本知行所

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 寛政五年(一七九三)における上総国の旗本知行所数は一四四〇、全領数の六三・二四%を占めていたという。長柄郡の支配者別領数は左表のとおりである。この表は領数であって石高とは関係ないが、旗本知行所が非常に多いことが特色である。
 郷土の知行形態は左表に示すとおりである。旗本知行所数が、八七・九三%を占め圧倒的に多い。これは、上総全域の比率は勿論長柄郡の比率も上まわるものである。江戸幕府最後の支配状況を示す旧高旧領取調帳により、郷土の支配石高をみると、八八・〇二%を旗本知行所で占めている。大名領分は、寛政五年において山根村・桜谷村二か所(吉井藩)であったが、幕末に至り大庭村一か所が鶴牧藩領となった。変化の著しいのは代官支配所で、寛政五年には針ケ谷村・皿木村・大庭村・刑部村にあったが、幕末には刑部村一か所を残すのみとなった。大庭村代官支配所は鶴牧藩領となったのであるが、他は、幕末動乱期、加増や新規召抱えの者の給地にあてられたものであろう。
長柄郡の領数(寛政5年)
史学雑誌 第73編11号川村優氏論文
長柄郡の領数(寛政5年)
史学雑誌 第73編11号川村優氏論文
支配区分領 数百分率
旗 本23766.76%
与力給知20.56 
代 官9326.20 
寺 領10.28 
大 名226.20 
355100.00 

長柄町の領数(寛政5年上総国村高帳による)
長柄郡の領数
(寛政5年上総国村高帳による)
支配区分領 数百分率
旗本知行所5187.93%
同心給知23.45 
代官支配所35.17 
寺 領00    
大名領23.45 
58100.00