郷土の知行形態は左表に示すとおりである。旗本知行所数が、八七・九三%を占め圧倒的に多い。これは、上総全域の比率は勿論長柄郡の比率も上まわるものである。江戸幕府最後の支配状況を示す旧高旧領取調帳により、郷土の支配石高をみると、八八・〇二%を旗本知行所で占めている。大名領分は、寛政五年において山根村・桜谷村二か所(吉井藩)であったが、幕末に至り大庭村一か所が鶴牧藩領となった。変化の著しいのは代官支配所で、寛政五年には針ケ谷村・皿木村・大庭村・刑部村にあったが、幕末には刑部村一か所を残すのみとなった。大庭村代官支配所は鶴牧藩領となったのであるが、他は、幕末動乱期、加増や新規召抱えの者の給地にあてられたものであろう。
長柄郡の領数(寛政5年)
史学雑誌 第73編11号川村優氏論文
長柄郡の領数(寛政5年) 史学雑誌 第73編11号川村優氏論文 |
支配区分 | 領 数 | 百分率 |
旗 本 | 237 | 66.76% |
与力給知 | 2 | 0.56 |
代 官 | 93 | 26.20 |
寺 領 | 1 | 0.28 |
大 名 | 22 | 6.20 |
計 | 355 | 100.00 |
長柄町の領数(寛政5年上総国村高帳による)
長柄郡の領数 (寛政5年上総国村高帳による) |
支配区分 | 領 数 | 百分率 |
旗本知行所 | 51 | 87.93% |
同心給知 | 2 | 3.45 |
代官支配所 | 3 | 5.17 |
寺 領 | 0 | 0 |
大名領 | 2 | 3.45 |
計 | 58 | 100.00 |