領主や代官の指揮を受けて一村の管理に当たる者を村役人という。村方三役といわれるもので、名主・組頭・百姓代がこれである。これらの村役人は、支配機構の末端であるとともに、村民の代表・代弁者でもあった。
郷土は、旗本知行所が大部分を占めていたので、一村が細分支配されることが多く、その場合給ごとに名主・組頭・百姓代が置かれた。一村が三人の旗本に分割支配されていると、一村内に原則として三人の名主がいたわけである。従って、ひとりの名主の行政権が村内くまなく及ぶものでなかった。各種の文書を見ると、
水野清六知行所 桜谷村名主長右衛門
伊沢播磨守知行所 同村名主 伊兵衛
のように、肩書きに地頭名が書かれている。つまり、長右衛門は、水野清六知行所内だけの名主であった。