7 村入用

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 享和二年(一八〇二)の刑部村村高村柄等書上帳に、「村入用壱ケ年、三拾貫文程も相懸り申すべく候」とある。これは、面割(めんわり)・高割(たかわり)で百姓たちに賦課された。当時、刑部村の家数は一六二軒であったから、一軒当たり約一八五文である。
 村入用とは、村行政上必要とする経費である。享和二年の刑部村一軒平均一八五文というのは、平年度における純村内費用と考えられる。現代的にいえば定期的出費である。定期的なものとしては、名主・組頭などの給料・旅費、村役人の使用する筆墨紙代・薪炭代・会合費・祭礼費・定例的な堰普請(せきぶしん)・川除(かわよけ)費などがある。これは、例年ほぼきまった額である。臨時的出費としては、大がかりな堰普請・道普請、助郷、巡見使、訴訟などの費用がある。猪鹿狩や日光社参などが行なわれると多大な出費となるが、これは稀な催しであった。幕末になると、領主の財政難から御用金、先納金といった形の賦課が多くなったが、これは、村入用というより貢租の一種である。
 臨時的な大普請や大行事の入用帳は別冊にされ、終了した時点において処理されたが、経常的村入用は、「村入用帳」に、その賦課は「村入用小割帳」に記録し、年度末に処理した。
 弘化二年(一八四五)一二月、舟木村名主十兵衛は、巳年の諧役銭差引帳を開き、正月から克明に記録された、村入用の合計を出し、八反目谷(市岡給)の百姓に割振った。古例による三段階の面割(めんわり)と持高による比例配分を併用した割当てである。(19)

巳歳中諸役銭差引帳
(多賀大郎家蔵)

 村の公的出費はいろいろある。名主の交際費・地頭所役人その他の手みやげ代、江戸出府の路用、事務用筆墨紙代、農事祝いの飲食代などである。交際費あるいは会議費としては、同じ市岡給の名主たちが大桶村または長南宿に参会したときの経費がある。市岡氏の知行所は、埴生郡棚毛村、下小野田村、市原郡大桶村、吉沢村にあった。その中でも大桶村は高三〇四石余りで最も石高が多かった。また、地理的位置からも、五か村から集まるに好都合であったので、大桶村参会が四回もあった。これは、費用も一回に二〇〇文しかかからない。ところが、長南でも三回会合しており、内二回は泊っている。大桶村参会入用は四回で八〇〇文であるのに、長南参会入用は三回で一貫五二〇文もかかっている。長南は宿場で料理屋や宿屋があり、相談事よりも宴会が目的の寄合と考えられる。
 手みやげ代は三回で五〇〇文余りであるから額は少ない。江戸出府の路用も、飛脚を使えば、一人当たり四二文ですむが、勘定出府などで名主が供を連れて行くと金一分二朱もかかる。江戸に行くことは多く、年貢皆済時の出府、上納金の納入、違作のときの減免願いの出府、相場切出府などと回数はきわめて多い。筆墨紙の購入回数は多いが、合計額は少ない。
 初米や年貢皆済のときは、酒・こんぶ・とうふ・しょう油・す・いわし・茶などを買って祝っている。とうふ一丁三六文、しょう油一升一二八文など、弘化期の物価を知ることができる。
 その外、高額なものに仲間(ちゅうげん)増給金二分と銭一六三文がある。仲間とは、江戸城や諸藩で召使う雑役夫で、賄(まかない)や駕籠(かご)かきなどをした。はじめ、百姓の夫役(ぶやく)として徴発したが、後には職制化し定雇(じょうやとい)となった。しかし、旗本は、知行所の百姓を低賃金で使ったようである。その場合、地頭から給与される安い賃銭を、村方百姓の負担で補ったのが仲間増給である。
 これらの村入用を合計すると銭一二貫七二五文となる。これを、市岡給の高五四石八斗二升へ割振ると、高一石につき二三一文となった。これを各人の所有高に比例配分するだけなら簡単であるが、古例による面割りがあり、また、この差引帳に載っていない諸経費の割付けもしなくてはならないので、計算は非常に面倒になってくる。先ず、年貢米を浜野まで津出しする駄賃が別帳面になっている。これは、年貢の上納量により割付けられる。最高九八五文から最低一六文までである。面割(めんわり)(人頭割)は、六八文・三四文・一四文の三段階になっている。また、村人足として勤不足の者からは銭を集め、勤過ぎの者には返さなければならない。その外、年貢の未納者や月々の家割銭未納者からもそれぞれの額を徴収している。舟木谷から一人、中之台村から一人、計二人の入作者からも、高に応じて同様の徴収がなされた。
 舟木村八反目谷の者は、金剛地の田向山と上野村の野場に入会っていた。この野銭は、金剛地村へ金一分二朱、上野村へ銭一貫文支払われている。この野銭も割振られた。馬持ちは四一八文、馬無しは二〇九文である。十兵衛・九左衛門・与惣兵衛・善左衛門・重右衛門・七郎右衛門・新左衛門の七人は四一八文、与兵衛・九兵衛・定右衛門の三人は二〇九文である。
 現代の市町村では、近世の村入用に相当するものを税金でまかなっている。それでも、各区や部落では、区費とか部落費を徴収して、神社の修営・水路普請・道普請・集会場の造営などをしている。その集金方法は、人頭割りと段階割りが併用されていた。これは、往時の村入用割付け法の名残りである。しかし近時ほとんどの区が平等割りで集金するようになった。