6高山村

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 高山村も創始年代は不明である。「高山村誌」によると、一七三石余が寛文四年旗本鈴木洗蔵の知行となり、一四石余が寛文一〇年に神佐兵衛に給され、少し遅れて、寛文一二年に大久保留二郎が残りの九三石余を知行するようになった。と記されている。この支配は幕末まで変わらない。
 元禄一五年の村高は二八一石五斗四升四合で、以降幕末まで村高の変動はほとんどない。高山村を知行した大久保氏は、田代・金谷・大津倉の各村々を知行した大久保氏とは別家である。
 維新前、鈴木万治郎知行一七三石八斗二升、大久保達四郎知行九三石五斗四合、神(しん)長左衛門(25)知行一四石二斗二升であった。
 寛政五年の家数は四九軒であり、明治二二年の上総国町村誌にも戸数四九とある。明治二二年の人口二五一、牛一、馬一五、段別八三町九畝二二歩、氏神は箱根神社、寺は不動寺(天台宗)の一寺であった。