元禄郷帳の村高七四九石九斗三升七合、寛政五年の村高は七三一石四斗四升、家数一二八軒、旗本柴田専次郎・榊原八左衛門の二給であった。維新前の石高と支配者を調査した旧高旧領取調帳によれば、村高七四九石九斗三升八合、内柴田七左衛門知行三六五石七斗一升九合、榊原金之助知行三六五石七斗一升九合、日輪寺領一三石五斗、妙泉寺領五石となっている。
明治二二年の『上総国町村誌』によれば、戸数一五二、人口五二六、馬三五、段別一八九町四反四畝二一歩、寺杉野山日輪寺、蔵谷山神照寺、宝和山妙泉寺いずれも真言宗となっている。