国府里区では、区有文書がよく保管継承されていて、今回の町史編さんの好史料となった。特に、元禄四年の山根村との御子屋台野論は、元文・天保・慶応と続き、貴重な絵図も残されているが、このことは第五節で詳述する。
元禄郷帳の村高三八六石七斗七升五合、寛政五年の上総国村高帳では一合ふえているが、維新前の支配関係を示す『旧高旧領取調帳』では元禄期と同じ石高になっている。寛政五年の家数三〇軒、地頭は武田与五郎である。『上総国町村誌』には、戸数三九、人口一九九、馬一五、段別四九町一段二畝五歩、氏神国府里神社、寺円満山広福寺(日蓮宗)となっている。
広福寺鰐口