18国府里村

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 茂原市国府関に隣接して国府里がある。そのため、上総の国府があったところと考えられやすいが早計である。古代、刑部郷の北隣に管見(つつみ)郷があったと推定され、この辺一帯を統治した長柄郡家の屋敷のあったところと考えられる。(30)
 国府里区では、区有文書がよく保管継承されていて、今回の町史編さんの好史料となった。特に、元禄四年の山根村との御子屋台野論は、元文・天保・慶応と続き、貴重な絵図も残されているが、このことは第五節で詳述する。
 元禄郷帳の村高三八六石七斗七升五合、寛政五年の上総国村高帳では一合ふえているが、維新前の支配関係を示す『旧高旧領取調帳』では元禄期と同じ石高になっている。寛政五年の家数三〇軒、地頭は武田与五郎である。『上総国町村誌』には、戸数三九、人口一九九、馬一五、段別四九町一段二畝五歩、氏神国府里神社、寺円満山広福寺(日蓮宗)となっている。

広福寺鰐口