22中之台村

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 『上総国町村誌』に「俚伝弘治元年卯(一五五五)ノ設置」とある。川中島で、上杉謙信と武田信玄が戦った年である。正確な史料はないが、郷土二七か村中設置年代に触れる記録があるのは田代村と中之台村だけである。元禄一五年の上総国郷帳には中野台村と書かれ、村高六五石一斗となっている。寛政五年の上総国村高帳には、高六六石三升三合、家数七軒と書かれ、旗本山本平六郎の一給であった。郷土二七か村の内、初芝村とともにもっとも小村である。
 当村は上野村とともに、台郷(だいごう)と下郷(しもごう)の接続点に位置しているため、舟木村・味庄村としばしば水争いが起こっている。戸数僅か七戸の小村が、江戸評定所で裁判を受けることは容易ならざることであった。民事訴訟が長びくことは今も昔も変わらない。その出費だけでも大変であったと推察される。
 『上総国町村誌』によると、戸数八、人口三四、馬六、段別二七町三段七畝八歩、氏神大国主神社、寺宝正山安盛寺(日蓮宗)となっている。