27皿木村

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 元禄郷帳の村高四〇石二斗七升、寛政五年の村高帳では家数二二軒で村高は変っていない。『旧高旧領取調帳』によれば、維新前黒川友之助知行二五石三斗一合三勺、本郷丹後守知行七石五斗七勺、中山筑後守知行七石五斗となっている。黒川友之助の知行所は、寛政期には代官支配所であった。
 『上総国町村誌』には、戸数二二、人口一五八、馬八、人力車一〇、段別八一町三反九畝二七歩、氏神三島神社、寺宝珠山光明寺(日蓮宗)となっている。江戸時代は大多喜道と茂原道の合するところとして賑わい、大正期まで旅宿もあったといわれている。
 
(1) 舟木 多賀大郎家文書
(2) 長柄町役場所蔵
(3) 針ケ谷 小倉正男家文書
(4) 刑部 内藤正雄家文書
(5) 舟木 矢部泰助家所蔵(但し、市岡給のみ)
(6) 池和田城  市原市池和田(旧鶴舞町)城主多賀越後守は、永禄七年正月、里見義弘に従い、国府台において北条氏康の軍と戦い戦死した。(国府台後役)池和田城は、その子蔵人高明、兵衛佐高方兄弟が守っていたが、北条氏の攻撃を受け、同年五月九日落城、兵衛佐高方は戦死し、蔵人高明は敗走した。(房総通史)
(7) 刑部 内藤正雄家文書(21)に全文を収録してある。
(8) 小榎本 渡辺泰之家文書
(9) 上野 伊藤喜代松家文書
(10) 山根 大和久忠敬家文書
(11) 針ケ谷 酒巻政雄家文書
(12) 小榎本 渡辺泰之家文書
   乍恐書付を以奉願上候
一、拙者儀祖父次右衛門相果候ニ付御役義被仰付難有仕合奉存候今日迄者人々之世話を以相勤罷在候然処ニ若年とハ申万事共ニ不調法者ニ御座候ニ付毎度人々之世話ニ相成候万事ニ付仕落等茂度々出来仕候……(中略)……別而近年不作仕候ニ付身上茂不叶ニ罷成其上拙者御役を仕候得者御用其外諸事両組頭惣百姓中迄茂懸難儀ヲ偏ニ拙者不調法者無筆ニ御座候得者御役儀難相勤リ奉存候又ハ御上を奉始村中別而拙者之ためニ相成リ申候間何与卒御慈悲を以此度拙者御願之通被仰付被下置候ハハ一家一同ニ難有仕合奉存候委細之義者口上ニ而可申上候不具謹言
  安永三年午三月日
         上総国長柄郡小榎本村
                村一家 小左衛門印
                同  甚右衛門印
                同   八郎右衛門印
        加藤主永様   同   三右衛門印
         御内     同   七兵衛印
        永野岡右衛門様 願人名主 治右衛門印
        大沼忠兵衛様
(13) 刑部 内藤正雄家文書
     上総国長柄郡篠網村
            名主 三郎兵衛
 其方儀是迄名主役相勤居候処近年病気ニ而勤兼候ニ付願之通休役被 仰付候乍併是迄出情相勤候間組頭役格被 仰付候諸事御用向無御差支様諸役之者江心添可相勤者也
   天保十三寅年
                    大関良右衛門印
                地頭所 照井 弥平
                    泉 定右衛門印
(14) 高山 清田家文書
     覚
 一、田畑反別帳    壱冊
 一、田畑名寄帳    弐冊
 一、御高帳      壱冊
 一、山手反別帳    〃
 一、山手御年貢取立帳 弐冊
 一、積穀山手仕法帳  〃
 一、新高帳      〃
 一、田畑売買帳    〃
 一、壱斗舛
 一、壱升舛
 一、大秤
   〆 拾壱品 十冊(ママ)
 右之通不残相渡シ申候以上
  慶応四年辰ノ正月 日
        百姓代 八郎右衛門
        組頭  甚五衛門
        〃   十右衛門
        名主  甚五右衛門
 名主 幾三郎殿
(15) 立鳥 安藤文内家文書
     覚
 一、長右衛門儀病死致候ニ付跡役之儀小前一
  同申合相応之者可申聞候以上
   文化十巳年七月  地頭
             用所
     立鳥村
         名主 与平 次方
         組頭 七郎左衛門方
(16) 鴇谷 磯野真常家文書
     申渡   鴇谷村百姓 長右衛門
 右之もの義実躰之趣達御聴一段之事ニ候
 依之組頭役被 仰付候以来名主差差図を請
 同役共申合諸事御差支無之様和熟情勤(ママ)可
 致旨可申渡もの也
  但組頭給米先例之通被下置候事
   卯正月二十一日
                 御地頭所 永井平兵衛
                      池上業助
               鴇谷村名主 与次右衛門殿
(17) 高山 大田ちへ子家文書
(18) 刑部 内藤正雄家文書
(19) 舟木 多賀大郎家蔵
 
    弘化二年
  巳歳中諸役銭差引帳
   十二月 日
              舟木村名主 十兵衛
 
正月廿五日
 一、弐百文 大桶村参会入用
 一、百三十弐文 積田氏江とさん
 一、百文 治兵衛殿江同断
二月七日
 一、弐百文 戸谷様御出ニ付見舞
二月廿日
 一、金壱分弐朱 勘定出府路用供共
三月七日
 一、壱貫百九拾四文 皆済出府部や入用五ケ村高面割
 一、四百九拾文 長南泊り参会入用
六月廿一日
 一、弐百文 大桶村参会入用
七月廿六日
 一、八拾四文 御上納金弐人路用
八月廿五日
 一、弐百文 大桶村参会入用
八月廿七日
 一、四拾文 半紙壱ツ
 一、三拾弐文 半切
九月六日
 一、六拾四文 初米之砌醤油五合
 一、三百文 御酒
 一、弐拾四文 こんぶ
九月七日
 一、弐百文 大桶村参会入用
九月廿八日
 一、弐拾壱文 違作ニ付御地頭所江願出にしの内三
 一、三拾六文 帳面紙半し
十月十八日
 一、三百七拾弐文 長南参会入用
 一、六百四拾八文 違作ニ付村々出府部や入用
 一、拾弐文 御用捨請書にしの内
 一、四拾弐文 御上納金飛脚路用壱人分
 一、三拾八文 国役帳面半紙壱り(ママ)
 一 拾六文 半切
十一月五日
 一、三拾六文 御用捨割ニ付とふ婦壱丁
 一、弐拾四文 志やう油弐合
 一、弐拾四文 茶
 一、四拾文 帳面紙
十一月十九日
 一、七拾六文 皆済ニ付とふ婦二丁
 一、弐百四拾八文 いわし
 一、三拾三文 す三合
 一、三百三拾六文 酒
 一、六拾四文 醤油五合
十一月廿八日
 一、八拾四文 御上納金弐人飛脚分
 一、八百弐文 相場切出府ニ付五ケ村高面割
 一、金弐分ト百六十三文 御中間七人江増給五ケ村高割
 一、弐百三拾弐文 水夫銭四ケ村わり
十二月十日
 一、八拾四文 上金(ママ)路用弐人分
十二月十五日
 一、七拾弐文 暮勘定わりふし(ママ)壱本
 一、百文 御酒
 一、七拾弐文 とふ婦二丁
 一、六十四文 志やう油五合
 一、四拾八文 茶
 一、弐百文 飯料
 一、百文 筆墨代
 一、百弐拾四文 帳面紙三り(ママ)
  惣〆 金三分弐朱ト銭八貫四百壱文
 一、米壱斗九升四合三夕壱才 御年貢返米也
   内米五升        初米砌飯料引
   引残而米壱斗四升四合三夕壱才
   両ニ六斗二升
    代金弐朱ト七百文
右差引銭拾弐貫七百弐拾五文
此割高五拾四石八斗二升江割ル
 但シ高壱石ニ付弐百三拾壱文
   十兵衛
 一、三貫三百三拾九文 役せん
 一、九百八拾五文 御年貢米駄ちん
 一、六拾八文 古例面割
   〆四貫四百文
 外ニ 一、四百三拾九文 違作ニ付惣代出府路用追割
    重右衛門
 一、弐貫三百五拾壱文 役せん
 一、七百三拾弐文 御年貢たちん
 一、六拾八文 古例面割
   〆三貫百五拾五文
 外ニ 三百拾文 違作ニ付惣代出府路用追割
    九左衛門
 一、弐貫七百四拾弐文 役せん
 一、七百拾弐文 御年貢たちん
 一、六拾八文 古例面割
 一、拾九文 小歩せんの出分
   〆三貫五百四拾五文
 外ニ三百五拾九文 違作ニ付惣代出府路用追割
    七郎右衛門
 一、壱貫八百四拾弐文 役せん
 一、弐百三拾弐文 御年貢たちん
 一、六拾八文 古例面割
 一、弐拾文 小歩せん勤不足
   〆弐貫百七拾弐文
 外ニ弐百四拾弐文右同断
    与惣兵衛
 一、八百文 役せん
 一、百九拾弐文 御年貢たちん
 一、六拾八文 古例面割
 一、五百文 小作方たちん
   〆壱貫五百六拾四文
   内五拾七文 小歩行勤返引
   差引而壱貫五百七文
 外ニ百ト五文右同断
    定右衛門
 一、三百八拾五文 役せん
 一、百四拾弐文 御年貢たちん
 一、三拾四文 古例面割
 一、三百文 小作方たちん
   〆八百七拾壱文
   内四拾六文 小歩せん勤返引
 差引而八百弐拾五文
 外ニ四拾九文右同断
    与兵衛
 一、弐拾八文 役せん
 一、七文 御年貢たちん
 一、拾七文 古例半面
 一、弐文 小歩せん
 一、百七文 三月家別割
 一、八拾四文 八月同断
 一、四文 国役せん
   〆弐百五拾三文
 一、米弐升九合四夕御年貢
   代銭三百十七文
   惣〆五百七拾文
 外ニ四文右同断
    九兵衛
 一、四百五文 役せん
 一、百四拾文 御年貢たちん
 一、三拾四文 古例半面割
 一、三拾六文 小歩せん
   〆百拾九文
 一、米壱俵ト壱斗六升九合三夕九才 御年貢
   代金三分四朱ト弐百九拾文
 惣〆金壱両ト七拾三文
 外ニ五拾壱文右同断
    新左衛門
 一、九拾四文 役せん
 一、拾七文 御年貢たちん
 一、拾七文 古例面割但小半面
 一、九文 小歩せん
 一、三百文 小作方たちん
   〆四百四拾壱文
 外ニ拾弐文右同断
    舟木村 庄左衛門
 一、四百九拾文 役せん
 一、百五拾四文 御年貢たちん
 一、三拾四文 古例面割
 一、四拾八文 小歩せん
 一、六拾八文 国役せん
   〆八百ト六文
 外ニ拾三文
    善左衛門
 一、百七拾壱文 役せん
 一、五拾三文 御年貢たちん
 一、拾七文 古例面割
 一、拾六文 小歩せん
 一、弐拾四文 国役せん
   〆弐百八拾五文
 外ニ廿弐文右同断
    中ノ台村 七郎左衛門
 一、六拾三文 役せん
 一、拾六文 御年貢たちん
 一、拾七文 古例割
 一、九文 国役せん
   〆百九文
 外ニ八文右同断
    野銭割
 一、金壱分弐朱、銭相場六七 金剛地田向山
 一、長銭壱貫文       上野村
   馬持 四百拾八文
   馬無シ 弐百九文
 一、四百拾八文 十兵衛
 一、  〃   九左衛門
 一、  〃   与惣兵衛
 一、  〃   善左衛門
 一、  〃   重右衛門
 一、  〃   七郎右衛門
 一、  〃   新左衛門
 一、弐百九文  与兵衛
 一、  〃   九兵衛
 一、  〃   定右衛門
   当番 新左衛門
(20) 和名抄  正しくは和名類聚抄、わが国最初の百科辞典で、承平年間(九三一~九三七)に成立。編者は源順、
(21) 刑部 内藤正雄家文書(千葉県史料近世編上所載)
    刑部村村高村柄等書上帳
 上総国長柄郡刑部村役人惣代名主市蔵奉申上候、当村之儀元禄年中御改メ高七百八石四斗壱升五合七勺九才并篠網村高弐百四拾五石七斗六升七合六才と有之、然処先達て御国高御取調之節、刑部村高八百五拾七石弐斗七升壱合三勺八才と書上、且御私領書上ニは刑部村高百四拾石三斗四升九合壱勺七才と相成候由、何れも元禄年中御改高ニ相違致候訳、其外刑部村篠網村両村入混候始末如何ニ候哉、巨細取調可申立旨御書付之趣奉畏候、
当御領所
  高八石五斗九合三勺壱才 刑部村
 外 瓦林鉄五郎様御知行
    高三拾四石弐斗壱升四合九勺弐才
   駒井半蔵様御知行
    高弐拾弐石壱斗六升
   鵜飼邦五郎様御知行
    高拾七石壱斗五合四勺弐才
   大谷清右衛門様御知行
    高拾七石壱斗五合四勺弐才
   山名佐渡守様御組同心大繩給知
    高弐百九拾三石五斗七升壱合三勺壱才
   岡松八右衛門様外拾人給知
    高三百弐拾五石
 御私領六給分
 小以高七百九石壱斗五升七合壱勺
    是は村方草創刑部村ニ御座候、刑部村之内
 布施藤兵衛様御知行分
  高百九石四合五勺三才     篠網村
 植木鉞三郎様、千種半右衛門様、沢弥兵衛様 御知行共高三拾石三斗四升四合六勺四才 同村
 慈眼寺除地
  高壱石、右御私領、除地とも、六給(ママ)
  小以高百四拾石三斗四升九合壱勺七才、是ハ刑部村之内字篠網と申字ヲ村名ニ書上趣ニ候え共、全ハ刑部村ニ御座候、
 御領、御私領 刑部一村
  合高八百五拾八石壱升五合五勺八才
   内
  右篠網村と唱へ候分
  高百四拾石三斗四升九合壱勺七才
   是ハ書面布施藤兵衛様外三給并除地高之分、刑部村之内字篠網を村名ニ書認め候義と相見、則元禄年中御改メ、刑部村高七百八石四斗壱升五合[ ][ ]と、当時之一村高八百五拾八石壱升五合八才と差引候えは高  〔高数脱か〕
   過高相成申候、然上は前書篠網と唱へ候高百四拾石三斗四升九合壱勺七才字篠網を、別領村名之様書出候義と相見申候、
 右は今般村高入狂并村名唱へ方前書奉申上候通り一躰惣名刑部村と有之、村内 篠網谷、稲塚谷、吹谷、月川谷、辺田谷、三沢谷、右六谷ニ相成居候処、書面布施藤兵衛様外三給并除地高百四拾石三斗四升九合壱勺七才と多分篠網谷ニ相孕居候ニ付、自然と村名之様申成書上候義ニモ可有之哉、外何にても心当無御座候え共、全は一村一躰刑部村ニ有之、則村方御検地帳其外古書物等刑部村ニて万端一村一躱ニ取斗、篠網村と申議無御座候、依之此段奉申上候、以上
  天保五午年十二月 当御代官所
        小笠原重左衛門組外給々惣代
         上総国長柄郡刑部村
  森覚蔵様     御支配所
   御役所               名主 市蔵
―――――――――――――――――――――――――――
                竹垣三右衛門御代官所
                 上総国長柄郡
                       刑部村
 一、御検地帳無御座候
 一、文禄三年之名寄帳御座候
 一、元弐拾五人御先手組同心衆給地 亀口仁左衛門上地
 一、高八石五斗九合三勺壱才
     酉年より亥年迄三ケ年 御定免
   此反別壱町七反弐畝拾五歩
      内
 一、田反別壱町弐反弐畝拾五歩 此取米三石四斗三合
             石盛 上十一、中九ツ、下六ツ
 一、畑反別五反歩 此取永弐百四拾弐文七分弐厘壱毛
             石盛 上七ツ、中四ツ、下二ツ
                        屋敷十
      外
 一、高三百弐拾四石九斗四升八合
             岡松八右衛門知行所 外拾八人
 一、高弐百九拾三石五斗三升四合六勺四才
            市岡丹後守組 同心給地弐拾四人
 一、高百六石四合五勺三才 布施藤兵衛知行所
 一、高三拾四石弐斗五升八合六勺五才
             鵜飼治兵衛、大谷友之助知行所
 一、高三拾四石壱斗七升八合三勺五才 瓦林助次郎知行所
 一、高三拾石三斗壱升九合弐勺壱才
        沢平兵衛、千種庄三郎、植木甚之助知行所
 一、高弐拾弐石壱斗六升四合九勺八才 駒井半蔵知行所
 一、村内御領私領入会ニ御座候
              東西拾三町半、南北拾八町半
 一、隣村 東金谷村、南田代村、西市原郡新巻村、北同郡大桶村ニ御座候
 一、最寄市場牛久村へ弐里、長南村へ弐里半、茂原村へ弐里余
 一、村内嶮岨ニて山付之村御座候、大風雨之砌り山崩砂押仕候、土怔砂野土場ニ御座候
 一、同国市原郡武士村え雲雀御鷹之節助村仕候、百石弐人
 一、長柄山村六地蔵村へ助村御座候
   人馬員数之義ハ百石弐人、百石壱人節御座候
 一、新開荒地発返し新規冥加運上御益筋ノ事無御座候
 一、畑少く田かち、稲草ハ寄出シわかさ京白同様、晩稲おもに作申候
 一、早稲百穀、中稲大阪藤枝植田御座候
 一、五穀之外作出しもの黍、稗、菜、大根作り申候
 一、肥ハ下肥 馬ふん、干草等仕候
 一、御林無御座候
 一、地頭持山五ケ所雑木立、此反別五町歩程
 一、百姓持山 五拾ケ所此反別三町歩程
 一、村持秣場御座候、四ケ所此反別拾五町歩程
 一、用水懸り無御座候、天水場留井無御座候、干損場ニ御座候
 一、御普請所無御座候、自普請所こはし拾ケ所
 一、坂三ケ所往来道普請等御座候
 一、往還掃除場無御座候
 一、米之津出は八幡村へ五里、江戸へ海上七里半と申候
 一、村内より生ル種物類、薬種ニ可成草木、鳥獣、虫魚、砂石等無御座候
 一、田畑山野ニ植殖可然者はんの木、なら木、相応之所御座候
 一、平生之糧ハひえ、菜、大根仕候
 一、凶年之節野大根、わらび之類仕候
 一、農業合之手業男女共繩莚仕候
 一、漁猟場等ニ無御座候
 一、古城旧跡名所旧記等無御座候、但シ百姓等
 御除地
 一、本尊千手観音弘法大師之御作開基不分明
      真言宗本山山城国醍醐三宝院末 月河山月輪寺
 御除地
 一、同宗門本尊十一面観音作不分明
                月輪寺末 大悲山慈眼寺
 御除地
 一、同宗門本尊阿弥陀行基之作
               月輪寺門徒 三明山宝珠院
 御除地
 一、禅宗本尊釈迦作不分明
   同国同郡長柄山村本寺長柄山眼蔵寺末 竜嶽山雲頂院
 御除地
 一、牛頭天王社拝殿高サ壱丈弐尺 はり行、けた行五尺間
         祭礼六月十三日記録等無御座候 神主
 一、家数百六拾弐軒 男三百五拾人、女三百弐拾人
 一、御領所民家無御座候、私領持添ニ御座候
 一、寺社霊宝土人特伝之古キもの珍玩之品、古書、古画、碑銘等之事無御座候
 一、村入用壱ケ年三拾貫文程も相懸り可申候
 一、商売家無御座候
 一、郷倉 弐ケ所
 一、村に貯米穀無御座候
 一、医業之者壱人御座候
 一、諸職人 大工壱人、木挽壱人、桶屋壱人、紺屋壱人
 一、酒造稼もの無御座候
 一、村内ニ分限なるもの無御座候
 一、孝行人壱人御座候、是之義ハ別紙書付ヲ以申上候
 一、やもふ、やもめ、みなし子、廃疾、片輪等自から稼もならさるもの無御座候
 一、長寿之者無御座候
 右之通り相違無御座候、以上
  享和二戌年二月     上総国長柄郡刑部村
                   名主 久右衛門
                   年寄 久太夫
                   百姓代 七兵衛
(22) 市原市大和田光厳寺旧蔵鐘銘
 仁王百十三代御宇干時寛文十二壬子天  十二月朔日治鐘
  神主 平田丹所鎮衡
  弥宜 小波田祝部宗繁   諸子敬白
  社僧 大和田村 本覚院
  冶工 刑部住大野与五右衛門藤原信房
  前住 東光院後住大阿闍梨源海欽誌之
(23) 上総国町村誌  明治二二年七月刊行
  小沢治郎右衛門編、町村制による新町村成立前の各町村の概況を記録してある。
(24) 朝野群載  永久四年(一一一六)三善為康編、平安時代の詩文、宣旨、官符、書札などを分類編さんしたもの
(25) 神長左衛門……旧高旧領取調帳に神長左衛門とあり、上総国村高帳には神尾織部とある。地元文書には、神と書かれている。上総国村高帳が誤記
(26) 針ケ谷村差出明細帳(林寿祐家文書、千葉県史料近世編上総国上所載)
  宝暦十一年巳三月
 上総国長柄郡針ケ谷村差出明細帳   名主 六郎兵衛
  年号何年ニ成リ申候哉相知レ不申候、御検地之義も同断
 一、高六百五拾六石三斗弐升八合
   三百弐拾八石九斗     大井新左衛門様御知行所
 内 弐百九拾四石        岡部熊三郎様御知行所
   三拾七石三斗八升三合          御支配所
   此反別
   三町七反九畝弐拾壱歩
    此わけ
 一、上田合九反九畝拾六歩  十五盛
   内壱反弐畝拾九歩  畑ニ成
   分米拾四石九斗三升
   此内 両毛作   無御座候
      何ても引方 無御座候
 一、中田合て四反四畝弐拾五歩 十弐盛
   内壱反弐畝拾五歩  畑成
   分米五石三斗八升
   此内 両毛作   無御座候
      何ても引地 無御座候
 一、下田合壱町壱反三畝拾弐歩  九盛
   内弐反弐畝壱歩  畑成
   分米拾石弐斗六合
   此内 両毛作   無御座候
      何ても引地 無御座候
 一、上畑合弐反八畝弐拾五歩  九盛
   分米弐石五斗九升五合
   内引方      無御座候
 一、中畑合三反六畝弐拾八歩  五盛
   分米壱石八斗四升七合五勺
   此内引方     無御座候
 一、下畑合四反六畝拾壱歩  三盛
   分米壱石三斗九升壱合
   此内引方     無御座候
 一、屋舗合て九畝弐拾四歩  十〇六(ママ)盛
   分米壱石三升八合八勺
   此内何ても引方  無御座候
  惣田合弐町五反七畝弐拾三歩
   高合三拾石五斗壱升六合
  惣畑合壱町壱反弐畝四歩
   高五石八斗三升三合五勺
  惣屋舗合九畝弐拾四歩
   高壱石三升八合八勺
 一、見取田                 無御座候
 一、見取畑                 無御座候
 一、野銭                  無御座候
 一、芝銭、林銭、萱野銭           無御座候
 一、藪銭                  無御座候
 一、野手、(山)手、其外小物成備米永     無御座候
 一、草刈場 六地蔵村、長柄山村弐ケ所
        東西三町程、南北四町程
   右は当村御領私領入合ニ苅候故、野手籾壱石四斗ツツ毎年三給より是ヲ出し申候
 一、海川山諸運上              無御座候
 除地
 一、当村惣氏神 壱社諏訪、壱社山王      御座候
 除地
 一、寺三ケ寺 二ケ寺真言宗、壱ケ寺ハ日蓮宗
 一、寺院庵室                無御座候
 一、神主社人                無御座候
 一、禰宜                   御座候
 一、当村家数七軒 人数三拾九人
 一、行人道心                無御座候
 一、本山当山修験銘々            無御座候
 一、御水帳                 無御座候
    是ハ年号御検地相知レ不申候
 一、名寄帳壱冊、延宝九酉四月御座候
 一、御高札場                無御座候
 一、墓所                  無御座候
 一、死馬捨場          御見捨地二ケ所御座候
 一、池沼                  無御座候
 一、郷蔵屋敷                無御座候
 一、御林                  無御座候
 一、桑、楮、漆               無御座候
 一、牢屋敷                 無御座候
 一、秣場                  無御座候
 一、荏大豆、餅米、籾納            御座候
 一、六尺給、御伝馬宿入用、御蔵前入用納    御座候
 一、当村ハ御領私領入作
 一、御普請所                無御座候
 一、自普請所                無御座候
 一、溜井                  無御座候
 一、山水の細溝御座候、是ハ用水ニ仕、あまり水立鳥村百八拾石之場へ引申候
 一、用水堰                 無御座候
 一、渡船                  無御座候
 一、当村より他所へ出作七軒、立鳥村え出申候
 一、枝郷                  無御座候
       田畑小作入上質入直段
     田上中下共ニ壱反ニ付弐俵程
     畑上中下共ニ壱反ニ付五斗程
      質入直段
   上田壱反ニ付 代金   壱両程
   中田壱反ニ付 同    三分程
   下田壱反ニ付 同    弐分程
   上畑壱反ニ付 同    三分程
   中畑壱反ニ付 同    弐分程
   下畑壱反ニ付 同    壱分程
   屋舗売買未無御座候故、直段之程相知レ不申候
 一、小川御座候、刑部村より立鳥村え流当村用水ニハ成リ不申候
 一、海川漁猟                無御座候
 一、橋                   無御座候
 一、当村御伝馬宿歟、市場、町場       無御座候
 一、助合 長柄山村、茂原村      両村人馬出申候
 一、当村より隣村 東ハ茂原村  道法壱里半
          南ハ長南村  壱里半
          西ハ武士村  弐里
          刑部村え   半里
          北ハ六地蔵村、長柄山村 壱里
 一、当村土地五分、砂地五分
 一、先年より御帳面附候竹木         無御座候
 一、当村御拳場、御捉飼[ ]御留場       無御座候
 一、御鷹方御用ニ付諸役勤方六地蔵村出し、武士村御伝馬之義ハ長柄山村出し、定助、大助人足馬ハ其時ニて大小御座候
 一、川除潮除御普請組合無御座候
 一、当村田方例年種蒔植付、秋ハ刈取其年ニより
 一、稲苅は十月上旬頃
 一、畑作は粟、大豆、木わた、麦等作仕候
 一、藺つくり茶園              無御座候
 一、蚕飼                  無御座候
 一、染草類、薬種類             無御座候
 一、御年貢米八幡(わた)川岸迄津出し仕候、道法四里、船賃百俵ニ付三俵ツツ、駄賃百五拾文ツツ、江戸迄海路十里程
 一、米雑穀市場出し             売買仕候
 一、調物                  無御座候
 一、寒暑江戸同断覚候
 一、男女耕作(之間脱か) 男 木かやを取
             女ハ いとなみを仕候
 一、御用ニ付差上候薬草木、染草       無御座候
 一、薬種草木、茶、たばこ、諸作物、染草或ハ海川肴世間ニ知候名物                無御座候
 一、夫食、種貸、焼家御普請料拝借      無御座候
 一、御年貢米俵入四拾壱俵余
 一、名主組頭給、定使、船頭、桶守給等    無御座候
 一、当村神事祭礼 八月廿七日、九月十五日
 一、御国廻り御延見(巡か)人足人馬茂原村え出し候
 一、御用ニ付所々ニ致往返夫銭極       無御座候
 一、公事出入有之節入用割合         無御座候
 一、帯刀之者浪人              無御座候
 一、本道、外療医師             無御座候
 一、馬医馬喰                無御座候
 一、造酒屋、紺屋、菓子屋、鍛冶屋      無御座候
 一、大工、木引、左官            無御座候
 一、虚無僧、陰陽師、座頭、瞽女       無御座候
 一、鉄炮取持之者              無御座候
 一、所御預之者               無御座候
 一、切支丹類族之者             無御座候
 一、当村前々遠島、追放、所払        無御座候
 一、闕所上り田地惣作田地          無御座候
 一、穢多非人                無御座候
 一、当村古城跡、名所旧跡其外(無御座候脱か)
 一、名高人之屋敷跡             無御座候
 一、獻上物                 無御座候
 一、金銀米銭拝借              無御座候
 右は当村前々より有来并村方様子書面之通御座候、若し相違之義書上候ハヽ、何分曲事ニモ可被仰付候、為後日名主、組頭、百姓代連判仕り差上申候、以上
      上総国長柄郡針ケ谷村
               名主  六郎兵衛印
               組頭  三郎右衛門印
               百姓代 平兵衛印
  宝暦十一年
    巳三月 日
   川崎平右衛門様
        御役所
(27) 針ケ谷 小倉正男家文書
 
      寛政五丑年  上総国長柄郡針ケ谷村
(表紙)     三給明細帳
          九月 日
 
      上総国長柄郡針ケ谷村
 一、本高六百六拾石三斗七升九合三勺
   此反別六拾三町八反壱畝拾歩
 一、高三拾七石三斗八升八合       内方鉄五郎様
   此反別三町五反九畝廿壱歩        御代官所
 一、上田合九反九畝拾五歩          石盛拾五
 一、中田合四反四畝廿五歩          石盛拾弐
 一、下田合壱町壱反三畝拾弐歩        石盛 九
 一、屋舗合壱反壱畝廿九歩          石盛拾六
 一、上畑合弐反八畝廿五歩          石盛 九
 一、中畑合三反六畝廿八歩          石盛 五
 一、下畑合四反六畝拾壱歩          石盛 三
  〆三町五反九畝廿壱歩
    此高三拾七石三斗八升八合
 
 
 一、高弐百九拾四石三升四合三勺   岡部主税様
   此反別廿八町弐反三畝廿六歩       御知行所
 一、上田合四町七反三畝拾六歩        石盛拾五
 一、中田合五町七反壱畝九歩         石盛拾三
 一、下田合五町六反拾七歩          石盛 拾
       此内弐反拾六歩溜井仕候
 一、屋舗合壱町壱反三畝歩          石盛拾一
 一、上畑合三町五反七畝四歩         石盛 拾
 一、中畑合弐町五反五畝拾七歩        石盛 八
 一、下畑合三町八反六畝拾歩         石盛 五
 一、下々畑合八反五畝六歩          石盛 三
  〆弐拾八町弐反三畝廿六歩
    此高弐百九拾四石三升四合三勺
 
 
 一、高三百弐拾八石九斗五升七合  大井信濃守様
   此反別三拾壱町九七畝廿三歩       御知行所
 一、上田合六町七反八畝五歩         石盛拾五
 一、中田合七町弐反八畝壱歩         石盛拾弐
 一、下田合八町五畝廿壱歩          石盛 九
 一、屋舗合壱町四反廿壱歩          石盛拾六
 一、上畑合壱町七反六畝七歩         石盛 九
 一、中畑合三町壱反廿八歩          石盛 五
 一、下畑合三町壱反歩            石盛 三
 一、下々畑合四反八歩            石盛 三
  〆三拾壱町九反七畝廿三歩
    此高三百弐拾八石九斗五升七合
 三給高〆六百六拾石三斗七升九合三勺
    此反別六拾三町八反壱畝拾歩
 一、田方壱反ニ付            種籾壱斗弐升
 一、畑方壱反ニ付            種麦壱斗弐升
 一、農業之間は薪取[ ]支度仕候
 一、御普請所無御座候
 一、運上物無御座候
 一、御廻米ニ御座候
 一、御林預り林無御座候
 一、地頭林四ケ所御座候 内壱ケ所大井信濃守様分
             内三ケ所岡部主税様分
 一、田畑国(圍か)   山御座候
 一、秣場御座候
 一、居村ゟ江戸日本橋迄陸路拾六里程御座候
 一、空地之儀は一切無御座候
 一、川是有候へ共小川ニ御座候
 一、用水之儀外ニ無御座候山合ゟ出水ヲ引申候
 一、古城跡陳(ママ)屋跡無御座候
         刑部村月輪寺末真言宗境内除地 大聖寺
 一、当村寺三ケ寺 同末境代除地        薬王寺
          茂原妙光寺末日蓮宗境代除地 針谷寺
 除地
 一、社地四ケ所  鎮守諏訪社
          下諏訪社
          山王社
          泉谷山王社
 一、御朱印寺社無御座候
 一、家数百壱軒
 一、人数三百五拾四人  農業人弐百三人
   内百七拾五人 女
 一、馬数弐拾五疋  内拾六疋伝馬役相勤り不申候
  右書上之通り相違無御座候以上
                 内方鉄五郎様御代官所
  寛政五丑年           針ケ谷村
    九月九日           名主  八平
                   百姓代 六右衛門
                 岡部主税様御知行所
                  同村
                   名主  新左衛門
                   組頭  市郎兵衛
                   百姓代 五兵衛
                 大井信濃守様御知行所
                  同村
                   名主  清左衛門
                   組頭  喜右衛門
                   百姓代 万右衛門
   御役人中様
 (28) 立鳥 大野弘司家、立鳥村明細差出帳
      宝暦元年
  (表紙) 上総国長柄郡立鳥村明細差出帳
      未 十一月 日
   元禄十四年五拾有余年以前
    平岡三郎右衛門様御支配水帳無御座候
  一、高拾九石四斗五舛三合
     上田壱反四畝拾九歩   盛 十五
     中田三反壱畝弐拾壱歩  盛 十二
     下田六反九畝弐拾壱歩  盛  七
    上中下田合壱町壱反六畝壱歩
     内弐畝歩前々永荒引
    残反壱町壱反四畝歩此取高免弐ツ九分三ツ
     上畑弐反六畝七歩    盛  九
     中畑弐反六畝壱歩    盛  六
     下畑七反六畝拾八歩   盛  三
     屋敷壱反拾七歩     盛  十
   上中下畑合壱町三反九畝拾三歩
    永壱貫五百五拾弐文
      内三畝拾壱歩前々永引
   残反壱町三反六畝弐歩
    此取永壱貫五百文三分四リン
 一、新田畑                 無御座候
 一、用水出水 是ハ針ケ谷村谷奥 吉田源之助様御支配
        当村拾町     岡部丹波守様御知行
        下迄弐拾町    大井庄重郎様御知行
   都合三拾町内八町程間鴇谷村 榊原弥右衛門様御知行
                 柴田七左衛門様御知行
 一、細川 是ハ居村下歩行之場
  但シ幅川欠候所ハ七八間都而二三間永サ弐里夫ゟ下不存
 一、板橋 但シ幅四尺、長九尺 六ツ
 一、土橋 但シ幅四尺、長七尺 四ツ
 一、石堤                  無御座候
 一、石[ ]付                 無御座候
 一、土堤                  無御座候
 一、圦樋筧                  右同断
 一、秣刈敷場                 右同断
 一、薪札運上                 右同断
 一、鉄炮                  無御座候
 一、紙、綿、茶其外諸運上一切        無御座候
 一、蚕                   無御座候
 一、御林                   右同断
 一、御薪                   右同断
 一、植立林                  右同断
 一、蟹釜投畑テ見簗釜之類          無御座候
 一、温泉                  無御座候
 一、漁猟                  無御座候
 一、硫黄山                  右同断
 一、明樊(礬か)山               右同断
 一、銅山                  無御座候
 一、鉄山                  無御座候
 一、錫山                   右同断
 一、辰砂山(筆者注・水銀と硫黄とが化合した濃紅色の鉱物水銀、赤色絵具を製するに用いる)  右同断
 一、郷蔵 壱ツ弐畝歩御引高
 一、御高札
 一、江戸迄 陸路拾六里、舟戸迄四里、船路拾弐里、方角申酉当ル
 一、隣村方角 東方鴇谷村口迄半丁柴田七左衛門様御知行
                 榊原弥右衛門様御知行
      西方針ケ谷村口迄半丁 吉田源之助様御支配
                 岡部丹波守様御知行
                 大井庄重郎様御知行
      南方大津倉村口迄壱丁 大久保民部様御知行
      北方桜谷村口迄壱丁  松平越前守様御知行
                 伊沢播麿守様御知行
                 水野清六郎様御知行
                 柴田七左衛門様御知行
 一、大宮権現 小社  六月十三日祭礼
 一、寺三ケ寸 日蓮宗日向門惣本寺茂原村茂原村茂原寺末
                感応寸、妙立寺、三橋寺
 一、大工                 弐人御座候
 一、座頭                 壱人御座候
 一、[ ](瞽か)女               無御座候
 一、紺屋                  無御座候
 一、医師                  無御座候
 一、鍛冶屋                壱人御座候
 一、商売人                 無御座候
 一、切支丹類                無御座候
 一、鉄炮所持者               無御座候
 一、塩浜                  無御座候
 一、船                   無御座候
 一、御鷹場                  右同断
 一、浪人帯刀之者               右同断
 一、山伏                   右同断
 一、こむそう                 右同断
 一、造酒屋                 無御座候
 一、屋根屋                  右同断
 一、津けきや                 右同断
 一、御預者                 無御座候
 一、御追放者                無御座候
 一、田方こへ  土馬屋こへほしか
 一、畑方こへ  馬屋こへ下水ほしか
 一、他村入作                無御座候
 一、土地  川通り砂、谷入水砂、中通り真土も少シ有り
 一、居村ゟ名所方角 南方札所観音笠森マテ二十八丁、辰巳方長南三途台上野道法弐里、卯辰方茂原村藻原寺日向門本寺道法弐里
 一、助郷御伝馬 茂原村寄馬場所 道法弐里
 一、市場                  無御座候
 一、御城下御陳屋(ママ)  道法五里大多喜松平備前守様
              〃 十里勝浦植村土佐守様
              〃 八里久留里黒田大和守様
 一、庄屋四人 土屋美濃守様(庄屋与頭四人江、田畑四反三畝十八歩、給米御年貢地ニ無御座候)
 一、与頭 四人      鈴木三郎九郎様名主給米弐俵
 一、定便 弐人            壱俵ツツ御座候
 一、御年貢津出船戸弐ケ所 道法浜野村迄四里、八幡村迄三里半
 一、諸調物市場道法 牛久邑迄弐里、茂原村迄弐里、長南村迄弐里
 一、男女作間之稼              無御座候
 一、種子 壱反ニ付籾壱斗五舛、上中下共ニ右同断
 一、稲草 一毛作り 甚右衛門こぼれ、伊勢こぼれ、京もち、屋なぎもち
 一、畑方 粟、きび、大豆、木綿、冬毛麦
 一、寒暑               江戸ゟあたゝか
 一、高三百三拾三石四斗五舛三合
   内高弐百八石        土屋美濃守様御知行
   内高百弐拾六石       鈴木三郎九郎様御知行
   内高拾九石四斗五舛三合   御地頭様御知行
 一、家数五拾壱軒
   男女人数〆三百四拾人 男百九拾人、女百五拾人
  右者明細帳村差出少茂相違無御座候依之印形差上申候以上
                上総国長柄郡立鳥村
                    名主 善右衛門印
  宝暦元年
    未ノ十一月
 曲淵豊後守様御内
      御役人衆
(29) 立鳥 安藤文也家文書
(30) 大日本地名辞書による。
(31) 桜谷 仲村多治見家用留
(32) 長柄村郷土誌 大正四年長柄尋常高等小学校編、総論、沿革、土地、戸口、気候、産業、神社仏閣、政治、俚伝その他が網羅され、余録として金石文まで採録されている。
(33) 舟木 多賀大郎家文書
     宝永六丑年
 (表紙) 上総国長柄郡舟木村高辻差出目録
       三月 日    御知行所長柄郡舟木村
                      名主 十兵衛
           元和申年永井信濃守様御検地
                      舟木村惣高辻
 一、高弐百七拾八石六斗三升六合六勺
  内壱石六斗七升壱合九勺天和三亥年天羽七右衛門様御改ニ而切添并ニ新田新畑高ニ入
  此反別田方合拾八町壱反七畝拾三歩
     畑方合拾壱町八畝八歩
  右田畑屋舗合弐拾九町弐反五畝弐拾壱歩
 一、家数合三拾三軒内六軒水呑        但三給共
   高弐百三石七斗六升六合九勺、反別弐拾三町四反八畝弐拾七歩                                      安藤信濃守様
  御相給
   高弐拾四石四升六勺、反別弐町壱反弐拾三歩
                     曲淵市兵衛様
   高五拾四石八斗弐升九合壱勺、反別五町七反七畝八歩
                        御高辻
 一、高五拾四石八斗款升九合壱勺
  内壱斗四升六合六勺天和三亥年新田新畑切添等高ニ入
  田方合三町七反八畝八歩
  分米合四拾四石五合八勺
  内米五升七合六勺新田高ニ入
  此反別畑方合壱町九反八畝弐拾九歩
     分米拾石八斗壱升四合六勺
     内米八升九合新畑高ニ入
  田畑屋舗合五町七反七畝八歩
   分米合五拾四石八斗弐升四勺  内八合七勺高不足
   内壱斗四升六合六勺        新田畑高ニ入
     此訳ケ
  上田壱町五反九畝弐拾歩        壱石五斗代
   分米弐拾三石九斗四升九合
     内弐畝拾歩              永引
   残而壱町五反七畝拾歩
  中田九反五畝八歩           壱石弐斗代
   分米拾壱石四斗三升壱合弐勺
     内拾八歩               永引
   残而九反四畝弐拾歩
  下田壱町弐反壱畝拾弐歩          七斗代
   分米八石五斗六升八合
     内弐拾壱歩              永引
   残而壱町弐反壱畝弐拾壱歩
  新田弐拾九歩               六斗代
   分米五升七合六勺
  田方合三町七反八畝九歩
   内永引合三畝拾九歩
   分米合四拾四石五合八勺
   残而三町七反四畝弐拾歩          有反
  上畑壱反壱畝八歩             九斗代
   分米壱石壱升三合
     内七歩                永引
   残而壱反壱畝壱歩
  中畑九反五畝弐拾八歩           六斗代
   分米五石七斗五升五合八勺
     内壱畝弐拾五歩            永引
   残而九反四畝三歩
  下畑六反九畝拾四歩            三斗代
   分米弐石八升三合八勺
     内五畝弐拾七歩            永引
   残而六反三畝拾七歩
  新畑弐畝弐拾九歩           弐斗五升代
   分米七升四合
  屋舗壱反八畝弐拾弐歩           壱石代
   分米壱石八斗七升三合
  畑屋舗合壱町九反八畝弐拾九歩
     内永引合七畝弐拾九歩
   分米合拾石八斗壱升四合六勺
   残而壱町九反壱畝歩
   田畑屋舗合五町七反七畝八歩
    分米合五拾四石八斗弐升四勺
      内米壱斗四升六合六勺     新田畑高ニ入
 右之通り少茂無相違相改書上申候、隠田畑之儀は不及申上新田新畑并ニ切添等迄吟味仕差上申候、此上永荒之場所ハ不及申新田新畑切添等ニ罷成可申候場所御座候ハヽ早々申上御指図次第ニ可仕候、若シ偽リ之儀申上、後日御聞被遊候ハヽ、名主組頭如何様之曲事ニも可被仰付候、為後日仍而如件
                 上総国長柄郡舟木村
  宝永六丑年           名主   十兵衛
    十二月 日          組頭 時右衛門
  市岡小治平様           百姓代 庄三郎
    広瀬権八郎殿
 一、家数九軒内壱軒永呑 但シ御百姓内
 一、人数五拾六人 内三拾四人男、弐拾弐人女
 一、馬八疋
 一、当村安楽寺、大立坊弐ケ寺御座候、弐ケ寺ともニ信濃守様御知行所内ニ御座候、少高故右之外諸職人無御座候
 一、当村山王、熊野、日天子、十善師四社御座候、尤是も入合ニ御座候、ねぎ御百姓之内ニ御座候
 一、当村留堰弐ケ所御座候、弐ケ所とも樋呑御座候、桶呑破損其節御屋舗様普請扶持米被下置候、其下ニ川堰弐ケ所御座候
 一、当村陣屋御蔵屋舗一切無御座候
 一、御林等は一切無御座候
 一、当村三給御百姓舟木谷八反目谷と申て両谷罷有り候、舟木谷は不残信濃守様御百姓ニ御座候、八反目家数拾壱軒居申候、尤三給之入合罷有り候
 一、当村野場不足故舟木谷ハ山ノ郷村へ入申候、馬壱疋ニ付銭[ ]の麦五升大豆壱升木綿壱斤出之申候、八反目上野村江入銭壱貫文、金剛地村へ金壱分弐朱出之馬草薪萱苅取申候
 一、当村ゟ江戸迄道乗り十八里程御座候、舟津浜野村八幡村曽我野迄四里半程御座候
 右之通り相違無御座候、若シ相違成ル儀書上候ハヽ名主組頭如何様之曲事ニも可被仰付候、少も御恨申上間敷候、為後日仍如件
  宝永六丑年         御知行所舟木村
    十二月 日         名主  十兵衛
                  組頭  時右衛門
                  百姓代 庄三郎
  市岡小治平様内
    広瀬権八郎殿
(34) 山之郷 成島孝太郎家文書
    上総国長柄郡山野郷村御指出之事
一、高百六拾弐石三斗五合          御繩之辻
   内わけ
  百壱石五斗九舛五合             田方
   内
  弐拾四石七斗弐舛三合          子小槍引
  残而七拾六石八斗七舛弐合          有高
  此取五拾三石八斗壱舛壱合
  六拾石七斗壱舛               畑方
  此取三拾壱石五斗六舛九合
  此永拾弐貫六百廿八文
一、高壱斗六舛壱合         酉改出シ田所新田
   内わけ
  壱斗壱舛弐合                田方
  此取弐舛三合
  四舛九合                  畑方
  此取弐舛弐合
  此永九文
一、高弐斗九舛           子改出シ田所新田
  此取壱斗九舛八合
  此永七拾九文
  取米合八拾五石六斗弐舛四合        子定納
  内 五拾三石八斗三舛四合  本高ニ五ツ弐分四りん
    永拾弐貫七百拾六文   有高ニ六ツ壱分七りん
  取米合八拾壱石弐斗九合       酉戍亥年定免
  内 米七拾五石壱斗四舛六合     有高ニて五ツ
    永弐貫四百弐拾五文
  取米合六拾八石七斗三舛七合        未定免
  内 米三拾五石九斗五舛三合 本高ニ四ツ弐分三りん
    永拾三貫百拾四文    有高ニ六ツ壱分七りん
  取米合九拾五石七斗九舛五合        申定免
  内 米八十八石五斗四舛五合 本高ニ五ツ八分四りん
    永弐貫五百文         有高ニ六ツ四分
 外ニ
一、米ニ而出申候小物成潟役無御座候
一、永弐貫弐百文重代ゟ御運上地御座候間
  御公儀様へ指上申候
   内弐百文者御代官様御所務
一、金三両弐分ハ百姓居林四壁六年以前ゟ出申候
   内壱両者三浦志摩守殿御代ゟ指上申候
一、茶代重代ゟ無御座候
一、百姓家数拾四間水呑共人数八拾八人馬廿疋御座候
一、田方ニ者わかさ稲多作申候
一、畑方ニ者な大根いも粟を多く作申候
一、御年貢者米ニて納畑方ハ金子納申候
一、川よけ普請之場人足五拾人程毎年村中ニ而志ゆり仕候
一、年々御公儀御役儀ハ[ ]場逗留之内夫伝馬出シ申候
一、御林壱ケ所も無御座候、百姓居林ぞう木壱尺ゟ三尺五六寸迄并竹御座候
一、年々田挽之場拾石 但弐ケ所御座候
一、漆楮蝋茶等無御座候
一、縮紬綿木綿麻紙無御座候
一、蔓木類無御座候
一、菓子類無御座候
一、魚鳥獣取不申候
一、雑穀ハ他所ゟ買取来用申候
一、諸職人役引之者御座候
一、村中之御指出之外新田永荒起間無御座候
一、馬草所ニ而沢山御座候
一、御年貢之外ニ度かり草せん無御座候
一、千石ニ付而壱人ツヽ御倉御台所へ内夫出シ申候
一、大豆壱俵ニ付永七拾文ニ売上申候
一、御宮五ケ所寺弐ケ寺御座候
右之通村中惣百姓せんきいたし書付指上申候少茂相違無御座候若何ニよらす隠居脇ゟ申上候者御座候ハヽ名主長百姓曲事ニ可被仰付候為村ゟ名主長百姓組頭加判指上申候以上
 万治三年
   子ノ霜月[ ](破)六日
 御代官様