領主からの年貢割付は、石高または耕地の等級別面積に対し一轄して賦課するのであるから、名主は、これを個人個人の所有反別および品等に応じて内割りした。その際は、「大小之百姓名主方へ寄合い、高下無く内割り」するはずであるが、実際には村役人だけで決めてしまい、一般の百姓は自分の負担分だけを知らされることが多かった。そこには村役人の不正が入り込む余地があった。百姓代は、惣百姓の代表として、名主の公正な内割りを監視する役目であったが、それは形式的なものであり、時には村役人と小前百姓の間に紛争が起こった。このことは、第五節村の争い、で詳述したい。