1 凶作の原因

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 年貢皆済目録を見ると、「違作ニ付き御用捨(ごようしゃ)」というように書かれている場合が多い。これでは、不作の原因がわからない。しかし、中には「日枯(ひがれ)ニ付き御用捨」と書いてあるものもある。年貢皆済目録の外、名主御用留(ごようどめ)・願書(ねがいがき)・書下(かきさげ)・触書(ふれがき)等を総合してみると、郷土の場合「旱損(かんそん)」が一番多い。旱損(干害)といっても、「仕付(しつけ)水」に困る場合が多い。水不足で田植えができないのである。
 次に目につくのが、「水損(すいそん)」である。干害と水害は多発している。長雨と冷気のため、麦が「麹穂(こうじぼ)」になり、稲作のできも悪い、という史料もあったが瀕度は少ない。「風損」「虫損」の史料も若干あった。台風予報も農薬もなかった江戸時代において、これらの害は多かったと推察されるが、郷土の場合、損害の規模は小さかったようである。虫害など、防除のきめ手もなく、「虫送り」のような催しが、重要な年中行事となっていた。「風祭」は、二百十日前後に、今でも例年催している部落が多い。以下、年代を追って凶作の実態を述べてみたい。