9 頼りない凶作対策

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 前述のように、全国的大凶作だけでなく、郷土だけの地方的干害・風水害・虫害は、続発していたのであるが、根本的対策は、少しも施されていない。小規模な治水工事・用水普請が、農民の自普請として行なわれていたに過ぎない。大視模な土木工事をするほどの力を、旗本は持っていなかったのである。僅かに用水工事の扶持米を与えたり、地頭林の立木を用木に下げ渡したりする程度であった。
 凶作対策として、早くから備荒貯穀が奨励されていた。しかし、食糧に不足し、種籾さえ借りなければならなかった小農民に、飢饉に備えて貯穀するほどの余裕などなかった。そこで、地頭の中には、年貢米の内から、少しずつ囲米に回す者も現れてきた。天保七年の、舟木村年貢皆済目録(55)に、「米弐俵ト弐斗五升八合、御囲米、永引」とあり、高山村でも、天保一二年の年貢皆済目録に、「米壱俵壱斗七升六合六勺、積穀米ニ下され候分」と記されている。百姓に貯穀を命じても効果が少ないので、年貢米の内から備荒貯穀に回している。旗本のなし得る凶作対策は、この程度のものであった。
 そのため、凶作の度に食物に困るような事態が生ずるのであるが、その際は、僅かな救米金の下付、あるいは年貢減免の処置をとるなど、治療的対策しかとれなかった。平年作でも夫食に困るような小農は、種籾拝借、年貢米金の借用、田畑地の質入れと悪循環を繰り返し、急速に水呑化していった。ただ、奥羽のように、大量の餓死者を出さなかったことが、せめてもの幸せであったといえる。
 
 註
(1) 山之郷  成島孝太郎家文書
(2) 立鳥   大野弘司家文書
(3) 刑部   内藤正雄家文書
(4) 茂原市下永吉 林寿祐家文書(千葉県史料近世編上総国上)
(5) 立鳥・安藤文也家文書
(6) 古島敏雄・日本農業史
(7) 耕作噺
(8) 針ケ谷 小倉正男家文書
(9) 天保五年 刑部 内藤正雄家文書
(10) 金谷 加藤喜之家蔵
   文化四年         大津倉村 竹田半兵衛
             金谷村名主・弥左衛門 与頭共ニ
     南沢留堰新規建替仕用帳
                針ケ谷村 大工 半兵衛
                     木引 彦右衛門
  一金弐分     椎柱八寸角 長サ九尺 四本
  一金壱分     同木下大柱五寸角 長サ六尺弐寸四本
  一金壱分五百文  椎木間柱四寸角 長五尺八本
  一壱貫弐百文   杉木大土台五・六角 長五間差込土台
  一金弐朱     杉木上土台六寸・七寸角 三間四尺
  一金弐朱     椎木地引 長サ九尺五本
  一金弐朱     杉木根太三寸角 長サ弐拾五間四尺
  一五百文     杉木前かめ土台三寸角 拾壱間半
  一五百文     松木貫 長サ九尺八丁
  一三百文     椎木そで土台三寸角 長サ四間
  一弐貫文     椎木そで柱六寸角 長サ九尺四本
  一六百文     同木丸太和柱 長サ九尺三本
  一松木はり    長サ九尺 御林之内
  一四百文     杉木和はり長サ三間 弐間 壱間半三本
  一金壱分     杉木尺笠木 長サ五間壱本
  一金壱分弐朱   松板木 尺板廿壱枚 長九尺
               同長 六尺 三拾壱枚取
                 置板拾枚 長六尺ト三寸
  一松板木御林之内 九寸九尺板拾枚長サ六尺板拾枚ト八分
  一五百文     椎木取置柱六七寸角長サ七尺
  一三百文     杉木そで笠木長サ三間・壱間
  一五百文     杉木下ノ笠木長サ三間四尺
   〆金三両ト五百文
  一金弐分百文   釘代大中結六拾本大五寸千本
  一金四両弐分   大工木引賃扶持共ニ
   惣〆八両ト六百文
     文化四年
       卯三月 日
  右之通り勘定仕奉差上候以上
                大津倉村 竹田半兵衛
                金谷村 名主 弥左衛門
   大久保八郎左衛門様内
       大塚与五郎様
(11) 金谷  加藤喜之家文書
(12) 立鳥  安藤文也家蔵
(13) 小榎本 渡辺泰之家文書
(14) 小榎本 前田政之丞家文書
(15) 小榎本 渡辺泰之文書
(16) 刑部  村上忠義家蔵
(17) 宝暦一一年 針ケ谷村差出明細帳、林寿祐家文書、千葉県史料上総国近世編上所載
(18) 享和二年 刑部村村高村柄等書上帳、内藤正雄家文書、千葉県史料上総国近世編上所載
(19) 金谷  加藤喜之家文書
(20) 享和二年 刑部村村高村柄等書上帳
(21) 立鳥  大野弘司家文書
(22) 舟木  矢部泰助家文書
(23) 山根  畠山金夫家文書
(24) 山根  畠山金夫家文書
(25) 立鳥  大野弘司家文書
(26) 舟木  矢部泰助家文書
(27) 舟木  矢部泰助家文書
(28) 近世農政史料集一・江戸幕府法令上
(29) 桜谷  仲村多治見家文書
(30) 舟木  矢部泰助家文書
(31) 茂原市八幡原・東条健家文書
     下知之事
    (割印)当午年
    一御収納米百俵
   右者三ケ谷村御払米願之通其方江御任セ御払被遊候間右手形ヲ以同国三ケ谷村名主儀右衛門方江罷越書面之通請取可被申候尤同人方江茂下知書差遣置候もの也
    弘化三午年十一月      石丸猪右衛門内
                       白石新兵衛印
                 八幡原名主 平九郎殿
(32) 高山  大田ちへ子家文書
(33) 立鳥  安藤文也家文書
(34) 寛政六年写し、刑部村五人組帳前書
       刑部 内藤正雄家文書
(35) 小榎本 渡辺泰之家文書
(36) 高山  大田ちへ子家文書
(37) 立鳥  安藤文也家文書
     覚
 此度御役被為蒙仰候処、格外之御物入有之候間、高百石ニ付金三両宛為御入用差出可申旨被仰付、右之趣小前一同申渡、来二月十五日限、無相違出金可有之候、    以上
  文化十一辰年正月          地頭
                      用所印
                立鳥村名主 七郎左衛門方
                        与平次方
(38) 立鳥  安藤文也家文書
     覚
 一、金三拾両  御用金
  右者当三月晦日迄無相違可相納候以上
   未三月九日              飯田庄助印
  未四月廿五日着
 一、御米拾六俵             五月分御飯米
  同五月廿五日着
 一、御米拾六俵             六月分御飯米
  同八月廿五日着
 一、同拾六俵              九月分御飯米
  同九月五日着
 一、金六両               九月分御給金
  右之通村々割合、御請手形差出候上者、日限之通御暮方御雑用金御差支無之様可相納、為念別段書附添相渡者也
   未三月九日
                立鳥村 村(虫喰欠)
(39) 立鳥  安藤文也家文書
     覚
 一、金百五拾両也
  右者書面之金子口入被仰付候所、甚不融ニ付、口入手段無之、然ル所被仰出ニ付、家銘為永続之金子七拾五両上ケ切上納、尤右之内金拾印五両者御勘弁被成下置候間、其旨相違無之もの也
               地頭所内 藤野嘉右衛門印
                    藤野左内印
               上総国長柄郡立鳥村
                    百姓 文内
                       七左衛門
(40) 舟木  矢部泰助家文書
(41) 立鳥  安藤文也家文書
(42) 小榎本 渡辺泰之家文書
(43) 小榎本 渡辺泰之家文書
(44) 小榎本 渡辺泰之家文書
(45) 桜谷  仲村多治見家御用留
(46) 小榎本 渡辺泰之家文書
(47) 小榎本 渡辺泰之家文書
(48) 舟木  矢部泰助家御触書写并御請書控
(49) 立鳥  安藤文也家米穀取調書上帳
(50) 舟木  矢部泰助家御触書写并御請書控
(51) 同前
(52) 山根  畠山金夫家御触書写
(53) 舟木  矢部泰助家文書
(54) 小榎本 渡辺泰之家年貢皆済目録
(55) 舟木  矢部泰助家文書