[分地制限]

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 前述のように、幕府の農村政策は、年貢・諸役の負担力をもつ一〇石前後、面積にして一町歩ほどを所有する自作農の維持にあったので、耕地を細分相続することを固く禁じていた。延宝元年(一六七三)に「名主・百姓、名田畑持ち候大積り、名主弐拾五石以上、百姓拾石以上、それより内持ち候ものは石高猥(みだ)りに分け申すまじき旨」(14)を達している。更に、正徳三年(一七一三)には、高二〇石、地面にして二町歩以下の者の分地を禁じた。配分する者も配分される者も、ともに一〇石以上であることが条件とされた。その後、享保七年(一七二二)には、一〇石以上の保有者に、その余分を分けることを認めたが、宝暦九年(一七五九)に、再び二〇石以上という基準に戻している。