6 高札(こうさつ)

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法度・掟・犯罪人の手配などを記して、交通の多い四辻や宿場、名主宅前などに掲げた立札を高札という。犯罪人の指名手配などは別として、高札で示された法令は、最も緊急且直接的に庶民を規制した。
 高札を掲げる場所を高札場という。無年貢地で、郷村では名主宅前が多かった。天保二年二月、舟木村では高札場が破損し、修復もできかねるようになったので、地頭所に対し建替えを願っている。その願書には、諸職人の手間賃や材料費などの明細書(見積書)が添えられている。合計銀六三匁、金になおして約一両である。高札場の建替えは地頭普請であった。
 高札の実物は、針ケ谷の小倉正男家に二枚蔵されていた。正徳二年(一七一二)のものは、火事取締が主軸をなしている。
 
    定
一、火を付る者をしらハ早々申出へし、若隠置におゐてハ其罪重かるへし、たとひ、同類たりといふとも申出るにおひてハ、其罪をゆるされ、急度(きっと)御ほうひ可下事
一、火事の節、鎗・長刀・脇差等ぬき身にいたすへからさる事
一、火を付る者を見付ハ是をとらへ、早々申出へし、見のがしにすへからざる事
一、火事場其外いつれの所にても、金・銀・諸色ひろいとらハ、御代官・地頭江持参すへし、若隠置、他所よりあらはるゝにおゐてハ、其罪重かるへし、縦(たとい)、同類たりといふとも、申出る輩(やから)ハ其罪をゆるされ、御褒美下さるへき事
右之条々可相守、若於相背者可罪科者也
  正徳二年二月
        奉行


高札(針ケ谷 小倉正男家蔵)

 天明八年(一七八八)四月の高札は、博奕の取締りである。
 博奕賭(かけ)の諸勝負前以て御法度の処、近年一統相ゆるみ、博奕賭の勝負斗(とう)色々に名目を付け候て、武士屋舗・寺社又ハ茶屋并ニ辻におゐて右躰不埓(みぎていふらち)の儀致し候趣相聞き候、以来、右躰の儀これ有り候ハヽ急度申し付けべく候、尤(もっとも)、吟味糺(ぎんみただ)しの上掛合の者先々迄用捨(ようしゃ)無く相糺し、仕置申し付けべく候、右躰不埓の者これ有リ候ハヽ、密々に奉行所江訴出べく候、急度御褒美下され、同類の内たり共訴出候て、自から旧悪をも相改むるにおゐてハ、これ又御褒美下さるべく候。(後略)
 高札は、一年に一度名主が読み聞かせるものと違い、常掲されているものであり、その時点において最も緊急な制禁事項であった。正徳の高札が火付改めであるのに対し、天明のものは博奕禁止であることも時代を反映している。博奕は天保期に至り最盛となり、社会人心を蝕むこと甚だしく、幕府はその禁止に躍起となったが、根絶することはできなかった。
 このふたつの高札に共通するものがある。密告の奨励である。犯人を密告すれば、たとえ同類であってもその罪を許し、褒美を与えると書いてある。これは、単に火付け・博奕に限らず幕府の犯罪摘発や庶民統制の手段として、あらゆる面で用いられた。五人組制度も密告制度による統制策であり、キリシタンや一揆の弾圧に密告を活用したことは有名である。天保一〇年(一八三九)の刑部村の「差上申議定連印之事」(23)にも、
一、博奕致候者ハ銭弐貫文之過料
一、右宿致候者ハ〃三貫文の過料
一、見逃致候者ハ右同断
一、見附候者ハ褒美弐貫文差遣

とあり、宿を提供した者や見逃した者の方が過料銭が高い。密告の義務を怠ったからである。
 密告ほど人心を暗くし、人間不信の気持を植付けるものはない。警察力の不足を密告制度で補おうとした幕府の方針は、却って悪党どもの団結を強め、裏切者には苛酷なリンチが加えられるようになった。また、一般庶民に利己的な自己防衛心を形成したことは否めない。