7 村議定書(むらぎじょうしょ)

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農民統制のため、支配者側から様々な法令が出されたが、村落秩序維持のため農民自らがつくり上げたものに村法がある。村議定(ぎじょう)・村掟(おきて)・村極(ぎめ)・村申合(もうしあわせ)などといわれるものがこれである。江戸初期には、入会権・水利権など当面する具体的問題の取極めが多かったが、後には、博奕・盗人・火の番などの規定から年貢収納・風俗・倹約などに関する内容が多くなってくる。中には、触書の内容を徹底周知させるため、村内で議定するものもあった。また、山論や水論に当たり、村内の団結と費用負担を誓い合った村議定書もみられた。更に、罰則を定め、罰金や村追放を議定したものもある。これらの村議定は、封鎖的な封建村落にあっては、幕法以上の強い規制力をもっていた。
 一村内で処理しかねる事柄については、組合村など近村が合同して議定している。明和四年(一七六七)の「相定申拾弐村連印事」(24)は、餌差(えさし)・盗賊等に関する近隣一二か村の申合せ事項である。餌差とは、将軍の鷹の餌を獲る下人のことで、この者は職掌柄農山村を回り歩き、職権をかさに横暴な振舞いが多かった。ごく身分の低い小者であるが、宿銭を踏み倒したり、酒食を強要したりして、村方では扱いに困っていた。幕閣でもその事を知り、餌差の回村に当たっては、規定の宿銭や食事代を受け取るよう触れてあったが、一片の通知では余り効果がなかった。そこで、村方では近村と申合せ、餌差の休泊に当たっては規定通りの木銭・米代を取ること、人足賃は一里につき一三文の割で受け取ることなどを約定したのである。このような問題は、一か村だけで規定どおりのことをし、隣村で無料奉仕などすると、規定どおり賃銭を取った村がいやがらせを受けるおそれがある。どうしても近隣一帯は同一歩調をとる必要があった。
 また、牢人・盗賊などを捕えたとき、村送りの費用を一二か村で高に応じて負担することを申合わせている。前述のように、盗賊を捕えると費用がかかるので、大声を出して隣村へ追払うような傾向があった。これでは悪人が次々入り込んでくるので、村の治安は乱れるばかりである。そこで、捕えた悪人を留置したり、代官所や地頭所へ届けたり、あるいは奉行所へ護送したりする費用を一二か村で分担し、進んで悪党を捕えることを約定している。
 この文書は写しであるため、刑部・金谷・初芝・針ケ谷・笠森・鴇谷・立鳥の七か村しか書かれていない。他の五か村は、いろいろな文書から推測して深沢・高山・大庭・大津倉・田代と考えられる。この一二か村は、自然発生的な組合村で、広域行政を必要とする諸事態が発生するごとに連結が強められていった。
明和五年(一七六八)小榎本村の「十壱ケ村申合之事」(25)も、盗賊・餌差等に対する処置の約定であるが、寺社の寄付金の強要に対処するための申合せもしている。「御免勧化(ごめんかんげ)の外、近年大小の百姓困窮故一切請(う)ケ申すまじく候、若シねだりがましき儀申し候ハヾ、左の村々立合い埓(らち)明ケ申すべく候事」
 御免勧化とは、朱印状や寺社奉行の証文を受けて寺社の寄付金を集めることである。これは、大寺社や由緒ある寺社が、建替えや修復のときに行なうものであるが、その外、朱印状や証文をもたない様々な寄付金集めがしばしばあり、村方の財政を圧迫していた。信仰に関する事であるから、一村単位では断りきれないので、近隣一一か村で約定したのである。この一一か村は、徳増・長富・桜谷・小榎本・榎本・岩川・棚毛・又留・今泉・元台・千田で、一九給一代官支配所の名主・組頭が連印している。このように、長柄郡と埴生郡といった郡の違いなどを乗り越えて、地理的結びつきの強い村々が、自然発生的に組合を結成していることが注目される。
 地縁的・自然発生的村組合は早くから結成されている。宝暦四年(一七五四)には、徳増・岩川・棚毛・今泉・小榎本・長留の六か村が十郷組合(26)を結んでいた。五郷組合ということばもしばしば出てくるが、別に五か村と限ったことでなく、四か村のことも六か村のこともあった。金沢藩で「十村(とむら)」といった場合、当初は十か村前後の組合村を目指していたが、後には数十か村の大組合村も現れた。それでも十村といった。このような大組合村には大庄屋が置かれたが、郷土の組合村ではそのようなものは特設されず、必要があれば各村の名主が交替で組合の仕事に当たった。
 文政一〇年(一八二七)幕府は改革組合村を編成させた。これは農民自治のためでなく、『関東取締出役に直結した下部機構として、警察的取締りの機能』(27)をもたせることがねらいであった。従って、文政一〇年以前の自然発生的組合村と以後の改革組合村は性格を異にするものである。
 天明七年(一七八七)の榎本村の「申合一札」(28)も、盗賊の処置、御免御先触(ごめんおさきぶれ)のない勧化寄進の停止、餌差衆の扱いなど前述のものと同様であるが、無宿人や盲人に対する処置が新たに加えられている。無宿人も盗賊同様捕え置いて奉行所に継ぎ送ること、その費用は組合村で分担すること、見知らぬ他国者に宿を貸すことは停止されているが、盲人は格別、宿を与え、人足を貸し、分に応じた合力銭(ごうりきせん)を差出してもよい、といったことを取極めている。無宿人がふえてきたのである。盲人に対する扱いは、幕府の姿勢をそのまま反映している。
 寛政一〇年(一七九八)中之台村の「申合連印証文」(29)には、防火対策が強く打ち出され、夜回り不寝番の設置を組合村で約定している。地理的関係から長柄山・六地蔵・皿木・上野・道脇寺・滝之口・勝間・葉地・中之台・山之郷と組合っている。山根村の道脇寺は台郷といっしょになり、現在の市原市の村々も含まれていた。
 文化元年(一八〇四)の上野村の「申合連書証文之事」(30)には、長脇差を帯した者や浪人者に対する処置が定められている。長脇差を帯びるような者を、組下から絶対出さないという申合せは、そのような者が現れ初めたことを逆に示している。浪人者に対しては、うまい方法もなく、単に組合村々で評議するとあるだけである。浪人といっても武士であるから、その応対にはよくよく困ったと考えられる。
 化政期ともなると、村議定書も村方で自主的につくったものが減り、次第に支配者からの押しつけ議定の色彩が濃くなってくる。文政一二年(一八二九)の立鳥村の「御改革ニ付村方議定御請書」(31)は、表題からしても支配者法令の再確認である。生活改善旋風が吹きまくり、庶民生活の細部にわたり規制が強化されてくる。五人組帳前書や触書で達せられた生活規制を、村議定という形で再確認させ、徹底させようとするものである。
一、近年百姓一統奢(おごり)ニ長じ候ニ付、衣類布・木綿ニ限るべく候事
一、神事・仏事・婚礼すべて何事ニ寄らず、膳部一汁一菜ニ限り申すべく候事
一、村役人より日待(ひまち)相触れ候節、拠無(よんどころな)き業これ有れば、遠慮無く農業出精致すべく候事
一、家々ニて子供紐解(ひもとき)の節、成るべくだけ手軽ニ祝い申すべく候、猶又、近年相始メ候事四ツ身(よつみ)の祝儀と号し、賑々(にぎにぎ)しき音物(いんもつ)の遣取(やりとり)甚だ費えの儀以来急度相止メ申すべく候事
一、春向き男女子供打ち寄りひやりと号し、無益の障(さわ)り米銭費し甚だ宜しからず、いよいよ困窮の基、悪事これより発(おこ)り、一生の害ニ相成候事、自今以後堅く停止(ちょうじ)せしむべく、且若者共両三人も打ち寄り、夜分などに内々酒食致し候歟(か)、諸勝負事之宿貸し候者これ有り候ハヾ、隣家組合ニて堅く相制し、右を相用いず候ハヾ早々其段村役人訴え出申すべく候
一、百姓共居酒屋ニて酒呑み候儀、壱人呑みニて、人数催し呑み候儀決して致すまじく候事
一、百五拾文   百姓男日雇昼麦飯壱食
一、百文     女農日傭(のうひよう)昼麦飯同断
一、百文     右男日雇三度食
一、四拾八文   右女日雇三度食
一、金壱分ニ付九人大工・建工手間代
一、同    拾人木挽(こびき)手間代
一、同    拾人桶屋手間代
一、同    九人あんこ手間代
一、同    八人左官手間代
一、女日からかさ 無用
一、男女じゃのめからかさ 無用
一、同怒りげた皮はなを 無用
 右の条々急度相守り申すべく候事
  文政十二年丑四月


弘化5年 組合村議定書
(国府里区有)

 このような条々に対し、三六名の百姓が連印して、名主、組頭・百姓代宛に差出している。支配者からの法令を徹底させるため、村役人が惣百姓に誓約させたようなもので、本来の意味からの村議定ではない。支配者からの禁令が多過ぎて、このような形で周知させなければ徹底を期しがたくなったのであろうが、村役人の性格が、より支配者寄りになったことも考えられる。江戸時代初期の強訴・一揆などの先頭には、常に村役人が立っていたのに、後期になると村役人が下層農民の攻撃目標にされる傾向になったことからも、このことが裏書きされる。
 正徳四年の立鳥村掟書では、婚礼などの料理を一汁三菜、肴二品と規定しているのに、ここでは一汁一菜に限り、神事・仏事・紐解・四ツ身からひやりまで村法として細かく規制している。村役人が日待(ひまち)を触れても仕事をしてよい、といった項目もある。明らかに支配者からの押しつけであることがわかる。居酒屋で、ひとりで酒を飲んでもよいが、多人数で飲んではならないといった項目は、全く酒飲みの気持を解しないものである。百姓が日傘やじゃのめ傘をさすことは江戸時代を通して禁止されていた。雨具は蓑(みの)かさであった。怒りげたとはどのような下駄かわからない。物価騰貴を抑えるため、諸職人その他の賃銭を統制している。
 天保一〇年(一八三九)の刑部村議定書(32)も、ほぼ立鳥村議定書と同じ内容であるが、刑部村独自の条目もいくつかある。「男女小児ニ至る迄、壱銭弐銭の福引等迄決して仕りまじく候事」とか、「田畑作物等不埓の盗み取り申すまじく候、別て綿などハ他谷他村迄仕付け置き候間、これ亦心得違い無き様仕るべき事」などが目につく。その他、秣場の盗み刈り、道端や山林に置いてある茅・炭・槇(まき)・薪(たきぎ)の盗み取り、山林竹木の盗み伐りなどの禁止が書き並べてある。田畑作物や山林生産品の盗難が多くなったことを示している。刑部村では、文久二年(一八六二)にも同様のことを議定している。幕末の農村の疲弊と人心の荒廃を物語っている。幕藩体制のたががゆるみ、あらゆる法令が権威を失いつつある中で、村議定のみがいくばくかの規制力を持ち続けていたのである。嘉永六年(一八五三)刑部村組合では、「御改革筋相弛(ゆる)み候」ため、引き締めの議定を行なった。博奕の禁・職人や質渡世などへの転業の禁、ひやりの制限などが主な内容である。文政一〇年以降の刑部村組合は、深沢・笠森・高山・大庭・大津倉・田代・刑部・金谷・針ケ谷・初芝・立鳥・鴇谷・長留・桜谷・徳増・榎本・小榎本の一七か村である。現在の水上・日吉地区で、かつて岩川村や本台村と組合っていた榎本・小榎本などが刑部村組合に加入している。
 村法は、身近かな者がお互に看視人となるので拘束力が強かった。権力を背景としない自治法であるが、村追放とか過料の徴収などの罰則を伴うこともあり、村の申合せ事項を破ることは容易でなかった。村八分といった精神的報復があったからである。このようなことは、つい最近まで時々みられ、新聞種になったこともある。
 このような、江戸時代の村法制定に際し、小前百姓の発言権がどのくらいあったか疑問である。恐らく、村役人その他の上層農民によって条目はつくられたものであろう。従って、下層農民にとっては、支配者の法令も、村の取り極めも、上からの生活規制に外ならなかった。
 
 註
(1) 『近世農政史料集』一 江戸幕府法令上(一号)
(2) 『近世農政史料集』一 江戸幕府法令上(四二号)
(3) 立鳥村掟書  立鳥 安藤文也家所蔵
(4) 『近世農政史料集』一 江戸幕府法令上(三四〇号)
(5) 『近世農政史料集』一 江戸幕府法令上(四四〇号)
(6) 『日本の歴史』18「幕藩体制の苦悶」
(7) 刑部  内藤正雄家所蔵
(8) 立鳥  安藤文也家所蔵、正徳四年立鳥村掟書
(9) 刑部  内藤正雄家所蔵
(10) 『近世農政史料集』一 江戸幕府法令上(四四号)
(11) 田代  田代卓家文書
(12) 『近世農政史料集』一 江戸幕府法令上(一七二号)
(13) 『近世農政史料集』一 江戸幕府法令上(一八五号)
(14) 『近世農政史料集』一 江戸幕府法令上(八七号)
(15) 小榎本 渡辺泰之家文書
(16) 小榎本 渡辺泰之家文書
(17) 立鳥  安藤文也家文書
        蓋紙共弐拾七枚
  掟書
                  上総国長柄郡 立鳥村
 従 公儀被 仰出候御法度書之趣堅可相守之勿論公用之儀亦者配符等何方よ里申来候共刻付之通少茂無滞先々江急度可相届之若又日付刻付於相違有之者名主組頭遂僉議而可申出事
 一、切支丹宗門之儀毎年雖改之猶以無油断常々心掛若不審成もの於有之者早々可申出隠置脇よ里顕におゐてハ名主組頭可為曲事事
   附高札古ク成候者早速申来可建替事
 一、往還役人馬之儀不限昼夜触来次第急度可相勤馬士共往還之人江慮外為仕間敷事
 一、年貢割付指紙出シ候ハヽ名主組頭惣百姓立合致免割引方等明細に勘定無高下様に可仕候若又名主組頭密々割をいたし猥之儀有之は可申出候
 一、年貢納庭帳之儀入念仕置年貢納所遅速之者吟味之ために候間其納候節之月日可記置尤名主方より請取手形可出之庭帳にハ納候百姓銘々致印形可置事
一、年貢米并俵拵等入念納方之儀惣百姓相談之上升取相定之升目前々申付ル定之通致吟味名主組頭立合可相納候尤俵之中銘々致差札米主升取名主名所書記可申候江戸江差越候節廻俵入少成とも不足候ハヽ勘定仕米弁可出之船回遅無之様に諸事入念可申事
一、年貢皆済不仕以前他所江一切米出し申間敷候若能米を売替悪米を年貢に納候ハヽ当人者不及申名主組頭五人組迄可為曲事事
一、年貢米郷蔵に有之節蔵番無油断可相守之万一火事出来焼失或者盗人に逢米於令紛失者領内者共蔵預り令勤番上者惣百姓急度弁可差出事
一、蔵近所火事出来候者百姓不残早速馳付蔵囲可申候若不参之輩於有之者僉議之上可曲事
一、米金納候節兼而遣置候判鑑之印を以割印之手形遣事候間年貢皆済之節右割印手形不残持参勘定可致事
  附米金之儀申遣候節右之印を以於申遣者相渡可遣之右之印無之におゐてハ縦役人たりといふ共相渡申ましき事
一、米納之節者名主組頭之内差添罷越可納之若名主組頭此方用事申付候か相煩候節者年寄百姓差添可遣事
一、大分致未進欠落候者有之ハ惣百姓より納所仕其上彼もの急度尋出し可申事
一、百姓子共多ク持候共田畑惣領に可譲之自分として子共に割とらせ申間敷候若高石を持子共に配分仕度ハ此方江申来可受差図并養子取組名主組頭相談之上役人江可申聞事
一、古田新田共に壱歩茂不可隠置また永荒之所者不及申山野にても新田に可成所見立候ハヽ此方江訴従差図可令開発事
  附本田畑にたはこ作候儀可為停止但野山を切開き其年一作仕分ハ格別之事
一、田畑永代売之儀兼而従公儀御法度之通堅令停止事
  附雖為質地証文永代証文取書入申間敷事
一、田地質地に仕儀名主組頭遂吟味を以来出入無之様に双方より証文を取替名主組頭可致加判年季者十箇年可限之尤年貢諸役等預り主方より可相勤之勿論名主年寄相改年貢米永預り主方より直に納させ庭帳に誰分と記右納入人之名印取之可申候質地証文仕候節名主組頭構私曲於不加判仕者此方江可申出候名主組頭無加判以相対質地仕におゐては可為曲叓事
一、普請之節人足扶持其外従公儀被下物名主組頭立合当座百姓江割渡証文可取之惣而継合勘定一切停止之事
一、用水引候儀以先例兼々相定理不尽に切取申間敷候其外於郷村ニ水論山論境論又者喧嘩口論有之節弓鎚鉄炮者不皮申刀脇指持出すもの有之者可為曲叓惣而不依何事諍論之節荷担加勢仕間敷事
一、川筋之村々大水之節早速名主組頭惣百姓不残罷出田畑不損様ニ可入情事(ママ)
一、新規に堀溝を掘并田畑屋舗仕出し道を狭め申間敷事
一、山林竹木之儀雖為自分林猥ニ不可伐採事
一、領内にて猥に酒造すへからす勿論他所より酒買入商売仕儀堅停止之事
一、人売買一切仕間敷候并男女下人拘候節年季之儀如御定之十箇年可限之事
一、人請に立候儀近き親類者名主組頭五人組江相断遂相談請に可立其外由緒無之者金銀を取又者当座之頼母敷にて請に立後日に出入於出来者可為越度叓
一、男女老若によらす外江奉公に出候ハヽ此方江可申達毎年人別相改事に候間弥以堅訴之可罷出若自分として出候者有之は後日に聞といふとも可為曲叓事
一、不依何事其時之相場よ里過分に下直成物請人なくして不可買之殊不審成もの一切不可買取事
一、手形なくして金銀米銭者不及申仮初之物にても不可相渡惣而役人代官名主百姓其外何者によらす諸色共に手形取遣仕間敷候若理不尽に相渡候様にと申輩有之ハ此方江可申出惣而手形証文無之諍論取上間敷事
一、印判之儀猥に不可替若令紛失取替候ハヽ名主組頭は此方役人江訴惣百姓者名主組頭江相断之即判鑑帳に載之可用之事
一、従前々定たる諸役入用之事有之ハ惣百姓江割掛入用之帳面に名主百姓可致判形若役目入用より多割掛候歟或者役目入用無之を割掛候者名主組頭可為曲叓事
一、従先規村方にて仕来候道橋無油断入念作可申事
一、牛馬捨候儀堅停止之怪我并病馬随分入念養育可仕麁末に仕間舗候尤牛馬売買之儀慥成請人を取名主組頭江達之可致売買不知行衛馬喰等に売買不可仕事
  附奕に作場江牛馬放申間敷事
一、不依何事一味同心徒党かましき儀堅仕間敷事
一、仮初にも博奕并かけの諸勝負仕間敷候若相背脇より顕におゐてハ本人者不及申名主組頭五人組迄可為曲叓宿仕候者可為同罪叓
一、辻立夜歩行堅仕間敷候親子兄弟と令不和村之者と度々口論なと仕惣而不行儀成者於有之者可申来事
一、領内におゐて狂言操勧進相撲等を企またハ他所より買入人を集候儀堅停止之若於相背者後日に顕といふ共名主組頭其五人組迄可為曲事事
一、不知行衛(ママ)もの或者諸勧進之者に一夜之宿も不可借之由緒有之而留る儀あらハ名主組頭江申断可差置之又領内之者共用事有之而他所江罷越泊儀あらハ名主組頭江相断可罷出不断して他所江相越不慮之儀有之者其品に志たかひ科之軽重を糺し急度可申付勿論他所之者猥に不可拘置但何方よりも無構慥成請人有之致手形其断有之ハ名主組頭吟味之上此方江申来従差図可差置叓
  附行衛不知もの路次にて相果候とも此方江申来可従差図事
一、他所より牢人参村に罷在度由申におゐてハ此方江申来得差図可差置事
一、手負たるもの不可隠置自然他所より来におゐてハ惣百姓寄合致吟味可申来惣而村之者怪我にて疵出来候とも当座に可申来事
一、遊女拘置候儀従前々為制禁之間一切停止之事
一、不応分限家作仕間敷候惣而奢かましき儀仕間敷事
一、免許なくして猥に百姓刀指候儀堅停止之事
一、衣類之儀跡々被仰出候通堅相守分限より麁相成物着用可申事
一、聟取娵取之節雖為名主乗物不可用之祝言出合之人数聟舅小舅〓五人組仲人者格別其外猥に呼集へからす料理者一汁三菜肴二品不可過之大酒乱舞可為無用右之外振舞一切停止之事
  附仏事葬礼斉非(ママ)時是又可為同前分限より軽仕儀者面々心次第之事
一、寺社代り目或者所を逐電或者身上を潰候者有之ハ可申来事
一、百姓死去跡目相続之者無之者其趣此方江為申聞不依男女ニ其筋目之者を取立得差図其跡目無相違可渡之断なく家を潰取四壁を阿らし田地を持添一軒之百姓をつぶし候ハヽ名主組頭五人組共に急度可為曲叓事
一、死後書置病中認置名主組頭加判可取置之慥成雖為書置筋目違候遺書用間敷候若又病人急に差詰り書置難成時者則名主組頭立合可申候是又難成候者向寄近人組差加り病人の口上其座にて書付一座之者致加判即時に名主組頭江可相渡事
一、名主組頭を致相手及諍論候歟又者忠節之新人ハ格別其外公事沙汰訴訟之叓有之時者壱人として罷出間敷候五人遂相談道理次第本人壱人と五人組差添名主組頭江達於難埓明者名主組頭令同道此方江可申出尤名主組頭とくと相談了簡之上道理立間敷儀に候ハヽ可加異見名主組頭了簡之上差留候儀を信用不仕[ ]而於罷出者吟味之上本人者不及申品により其五人組迄可為曲叓事
  附名主組頭構私曲同道不仕おゐてハ五人組之内差添可罷越事
一、五人組之儀肝要之事に候間自今以後弥五人之者共諸事相互に可申合候何事茂無隠申合盗賊之用心田畑うない発し等迄令油断者互に心を付借金并田畑質入判形取遣迄名主組頭者不及申五人之仲間可致加判名主組頭五人組仲ケ間を除き加他人を候加判証文不可相立并聟娵取仏事吊之節も五人組仲ケ間出合互に可見届事
一、五人之内不届者有之耕業不情(ママ)に仕行跡不宜他郷歩行好大酒相撲取百姓に不似合男立いたし高未進またハ過分限借金等可仕体ニ候ハヽ五人組為仲ケ間可加異見若又不用異見不届之者有之は名主組頭江達此方江可申出見乃かし聞乃かし差置高未進或者不応分限借金為仕候者僉議之上残四人之者江掛可為致返済事
一、五人之内相煩候歟此方用事申付[ ]を取田畑仕付不罷成候歟又者牛馬を殺し耕作可後候者相残四人之者寄合手前之田畑同然に致耕作年貢致収納候様に互に助合可申事
  附五人組之内妻子を奉公に出シ自分茂奉公に出候節者勿論縦其身斗奉公に罷出候共立帰百姓相勤候迄ハ残置所之田畠山林屋敷不荒様に残四人之者并名主組頭心を添可申事
一、五人之内人茂存たる致失墜進退相続難成者有之者名主組頭江達此方江可申出事
一、申付候掟之品々五人組仲ケ間にて互に致吟味堅可相守之若亦名主組頭此方役人代官非道之儀有之者潜に此方江可申出穿鑿之上随道理名主組頭此方役人代官以後あたをなささる様可申付事
一、此方家来之内押買者不及申其外少茂非分之儀有之候ハヽ可申出并音物馳走かましき儀一切停止之事
一、名主私之以奢我儘成仕方有之者組頭年寄可加異見若於不承引仕者此方江可申訴事
一、此方家来役人代官就用事村方江差越候節以権威於我儘仕者早速可注進事
右之趣惣百姓水呑以下迄毎年度々為読聞堅可相守之若相背悪事於出来者不及申本人者名主組頭其五人組迄急度可申付者也
 正徳四年甲午年十二月       竹元仁左衛門印
                  岩田宇右衛門印
                  高見良右衛門印
                 立鳥村組頭 又兵衛
                   〃   伝右衛門
                   〃   惣百姓中
(18) 刑部  内藤正雄家蔵
(19) 初芝  酒巻政雄家蔵
(20) 刑部  内藤正雄家蔵
    寛政六甲寅
   五人組帳 正月廿五日 写之也
 一、奉重 公義御年貢諸役大切ニ相勤被仰出候御ケ条之趣堅相守可申事
 一、常々親に孝行仕主従礼義を正し夫婦相宜く兄弟親類と中能相続仕方端慎つき合家業大切ニ可致事
 一、五人組之儀家並に向寄次第五軒宛組合子共店借寺社門前下人等に至迄諸事吟味仕悪事無之様に可仕候事
 一、切支丹宗門之儀御制禁之事ニ候間郷中不審成もの於在之ハ早速五人組より庄屋[ ]江申達其上地頭役所江可申届候事
   附宗門人別帳ニ記毎年春中急度可指出事
 一、御年貢米割付相渡候節庄屋年寄并百姓出作之者迄不残立合無高下明細致割符少茂申分無之段惣百姓致印形勘定帳庄屋方江取之其趣地頭所江急度可申達候事
 一、御年貢米金小物成潟役[ ]時物運上ものすへて納り方之儀別而申渡候通期月或は相触候日限之通急度相納可申候取立之儀におゐては願訴訟如何様之儀有之候共不及届候若申渡候期月日限に上納之員数[ ]不足は庄屋年寄越度可遂穿鑿候条兼而其旨を存不申触以前ゟ期月を考江百姓[ ]油断無之様に急度[ ]心得可有候事
  附御年貢引負欠落仕候を見及候もの有之候は五人組として遂穿鑿候而庄屋年寄致相談押置早々可申来候致油断欠落為致候は其者之御年貢其五人組弁納為致其上彼ものをも急度尋出させ可申候事
一、御年貢米拵随分念入米怔遂吟味荒砕青米赤米之類無之様に可仕候俵入升目等念入米主米見升取庄屋印形中札俵毎に入上札共に指出可申候事
  附御年貢米村取立之節庄屋年寄百姓立会随分厳密に相改可申候
一、本田畑之儀は不及申見出し(ムシ喰い)取通り之場所有之候は少之所成共無隠急度申達改を請可申候若隠置訴人等有之候は当人は不及申庄屋年寄迄可為曲事事
  附山林野方切添にいたし障りなき場所有之候は申達し可請差図少成共我儘に開き申間舗候事
一、惣百姓平生暮方大切に仕常々分限を存少茂過分之儀不可仕作毛或はかせき宜しき年は貯の心掛を致し凶年亦は其身不慮之物入等出来候事有之節その期に至て難儀にせまり候儀有之条不断之心懸無之候ては不慮之儀防かたく候故条能く可相心得候事
  附麦作或は秋作苅入候節御年貢可相納儀庄屋年寄等ゟ不申聞候以前ゟ毎年之格を了簡いたし差図之節少茂遅滞ニ不及様に銘々覚悟仕米穀手前に有之候共上納以前全自分之儀にむさと遣ひ候儀仕間舗候身代不成百姓は別而右之趣庄屋年寄相考油断無之様に可申渡候事
一、百姓之内に勝れ親孝行成もの有之ハ其様子見届可申候且亦不行之者又ハ親類と中悪敷家業をもおろそかにいたし[ ][ ][ ][ ]百姓に不似合遊芸を好み行跡悪敷無謂過言を尽し偽りを勧我儘に募ルもの有之時は其村の人自然と風儀悪敷成行大切に候条故旨能存ケ様之者在之ハその五人組庄屋年寄江申達厳異見仕再応に及候而茂不相用候ハヽ其趣以書付庄屋年寄ゟ地頭役所江急度可申達候若隠置而悪事出来候は其五人組并庄屋年寄可為越度事
  附他人之公事出入を取持或は悪心を以て村を騒し候もの有之ハ地頭所江可申達候事
一、御年貢皆済無之以前米穀他所江一切出し不申年切に急度皆済可仕候事
一、悪事を企て神水を呑誓約を以一味連印不依何事[ ]徒党ケ間舗義堅仕間舗候若於相背は理非を不論可為曲事叓
一、御年貢并役銭等庄屋請取候度々納候者方江請取手形相渡し重而勘定無相違様に相心得べく候遺合勘定堅仕間舗候事
  附金銀其外取引候節互ニ請取手形引取可申候証文無之候者たとひ出入に罷成候共取上不申候
一、鉄炮打候儀并所持之儀前々御法度被仰付候上はたとひ断相立候鉄炮たり共猥ニ打申間舗候貸し借り一切不仕鶴鷺打候義勿論殺生堅仕間舗候右之趣於相背は穿鑿之上庄屋組頭年寄迄可為曲事叓
  附畜類作毛荒し候節鉄炮ニて威度候は其節可伺候事
一、隠田之儀は不及申小物成潟[ ][ ]物運上物或は雑穀等すへて納来候物少しも隠置間舗候若隠置以来相知候は吟味之上可為曲事叓
一、前々より御停止之通り田畑屋敷山林永代売買[ ]来納堅仕間舗若田畑質物ニ入候而は不叶子細有之年季を相定質地証文に地主并庄屋年寄五人組連判取之可相極候置主庄屋ニて候は相庄屋か又[ ]組頭年寄加判可仕候尤年季之義拾年より内に可仕候且又質取候は作取いたし質置候者方ゟ御年貢役相勤候義堅御法度ニ候間如右質地取かわし申間敷候事
  附御朱印地之田畑質等取間敷候[ ]山林[ ]間[ ][ ]常々念入違乱無之様仕置可申候事
一、堤川際溜井用水諸普請無油断心掛村普請にて出来候所は無怠致普請大破に不及様に可仕候御入用にて出来候普請もおこたりなく繕ひに仕麁末之儀無之様ニ大切ニ心掛可申候事
  附用水溜池之水むさと流捨申間舗候且又用水之義につき可相願筋候ハヽ前廉訴之可請差図候自然不相叶内々におゐて其期に至り我儘を以隠便不[ ]儀或ハ理不尽之義仕候ハ急度可申付事
一、川際破損之所并用水浚等正月中ゟ百姓手透之内無油断修覆可仕候
一、前々より御停止之趣相守三笠附博奕ほう引惣而如何様之軽き儀にても諸勝負堅仕間舗事若相背候もの并三笠附博奕之宿仕もの有之は五人組ゟ庄屋年寄江申届其趣早々地頭役所江可申達候若隠置外ゟ於露顕は本人ハ不及申庄屋年寄五人組迄可為曲事叓
一、百姓子共多持候もの田畑惣領江譲り可申候次男より耕作之働為致候か又ハ奉公人商人職人等之弟子に遣し末々自分過仕候様に可致候高弐拾石以下之百姓高分ケ候義御法度之義但田畑大分致所持子共に配分仕度ものハその旨申達可得差図事
  附百姓跡式之義存生之内取極庄屋年寄立合致印形書付仕置後日出入無之様ニ可仕候事
一、聟娵取候もの之出合之節庄屋年寄又ハ身代宜きものたりといふ共其分限より随分祝儀軽く付聊以奢ケ間敷義仕間舗候事
  附祝儀或は法事等ニ付振舞[ ]会之義有之候共平生同意ニ軽可仕候且水あふせ石打等堅御停止候事
一、衣類之儀従公儀被仰出候通急度相守布木綿之類可着用事
  附庄屋年寄惣百姓布木綿可着用勿論妻子等に至る迄同断可相心得候不依何事百姓に不似合奢かましき儀決而仕間舗候事
一、百姓分限に不応家作仕間敷候事
一、惣体百姓公事訴訟有之時分親類縁者如何様之好身たりといふ共不取持庄屋年寄五人組立合依姑贔負なく取扱可申不相済儀ハ庄屋五人組差添可訴出候庄屋年寄と出入之儀有之ハ其者之五人組差添可訴出候且又地頭他村と公事出来候は慥成証拠を以正路に利害ヲ糺シ其趣地頭役所江訴出可受差図候若地頭役所江不訴して他領江罷出候は穿鑿之上庄屋年寄可為越度事
  附脇より荷担之もの有之候は其公事落着以後相聞江候共遂穿鑿急度可申付事
一、百姓潰又ハ死失跡潰候は其者之田畑屋敷山林家財諸色相改紛失不仕様ニ庄屋年寄五人組立合致吟味帳面記地頭役所江申達差図を請親類又ハ縁者之内にて跡式立可申候事
一、村入用少々にても無益成義無之様常々遂吟味庄屋年寄惣百姓立会相改得心之上其年限に勘定仕置夫銭帳に惣百姓致連印地頭役所へ可差出候御普請人足扶持米等之儀は当座に百姓江割渡し請取印形取之可申候如何様之差引有之候共繾合勘定仕間敷候事
一、往来之道橋は不及申惣而脇道作場道不自由之所道橋を造り人馬難儀なく通路いたし可申候勿論従古来有来道田畑江切添或ハ水溝稲を植申間舗候事
一、御伝馬宿場にて無之候共在々武士道行之節人馬雇候節ハ何方ゟ何方江通候哉主人之名其人之名聞届御定之賃銭道法に応し取之先村へ送り届疎略仕間敷事
一、往還之旅人一夜之宿も貸申間敷候然共子細有之訳にて候は壱人ものに不限一夜之宿貸候共五人組庄屋年寄江相断委細遂吟味その上にて貸可申候若子細有之逗留仕度と申候ハヽ其訳五人組庄屋年寄方迄様子申届可申叓
  附旅人何成共取落置候は如何様之物成共早々追かけ為持可遣候少茂隠置申間敷候且又衣類諸道具其外何にても怪敷物一切買申間敷候事
一、旅人於当村喧嘩いたし候は早速出合双方掴へ置様子抔相尋可申候若手負候は医者を掛致養生置或は殺害自害倒もの有之は番人附置尤そのもの雑物改置右何れにても其訳早速地頭役所江可訴来事
  附於所不慮之あやまち有之ハ不依何事可訴出ならひに旅人酒狂仕もの有之候は其所ニ留置酔さめ候而様子承届滞儀無之候は相通可申候若村中之者怪我いたし相果候もの有之候ハヽ其むね地頭役所江早々訴可申候事
一、逐電欠落もの有之候ハヽ其旨書付早速地頭役所江申来帳面に付可申候
  附立帰りに遠国江罷越候もの其趣書付地頭役所江相届置可申候事
一、毒薬似せ金仕もの有之ハ急度捕へ置早速地頭役所江可申来候事若油断いたし置脇より致露顕に於ハ庄屋年寄五人組迄可為曲事叓
  附人売買并捨子堅仕間敷候且又村中に便りなき老人又ハ幼少之ものかたわ成もの有之候は憐之介抱致シ置可申候若又所難儀之子細有之ハ地頭役所江申達可請差図且亦行所無之譜代之者理不尽之追出し申間敷候事
一、不依何事御用之儀申遣候ハヽ日限刻限無相違急度可相勤候村継之廻文有之ときハ日付時付無相違先之村江相届何時相渡し候と請取手影入念可申候事
一、村中火之用心常々五人組切に致吟味無油断入念可申候自然火事出来候ハヽ我等ゟ手桶はしこ等持出何方ニても早々火元江かけ付火消可申候勿論御年貢米入置候郷臓ハ別而馳付火消可申候事
一、村中江夜盗入候は当人ハ不及申近所之もの声を立もより段々声を合捕へ候様ニ可仕候万一出合不申もの有之候は急度可遂穿鑿候勿論近郷他領にて盗賊怪敷者声を立候は早速出合声を合捕へ候様ニ常々庄屋年寄惣百姓申合油断仕間敷候むさと打殺し切殺申間敷候若取逃候は何方迄も跡を慕ひ行落着所ヲ見届其所江改預置可申候尤其品々早々訴可申候事
一、村中[ ][ ]堂宮山林にかくまり不審成者有之は郷中出合追払暫時も差置中間敷候縦隣郷ニて右様之もの見当り候は見逃し不申早々其所江知せ可申候事
一、村中行衛不知浪人坊主山伏行人こもそふ比丘尼乞食に至迄居住為致候事堅無用に可仕候勿論一夜之宿も貸申間敷候事
  附軽き物にても預り物一切不仕買取候儀堅不可仕事
一、村中ニ欠込もの有之節追手之物慕ひ来候て其届在之時ハ村中之物不残早々馳集り随分取逃し不申様に可仕理不尽に打殺シ不申其所ニ留置尤其品承届早々地役所江(頭脱か)可訴事
一、村中に不審成雑物捨置候は庄屋年寄立合怪敷儀も有之候哉念入相改番人附置早速注進可申来候若尋来候もの有之請取たくと申候共此方無差図して内証にて相渡し申間敷候
一、於村中勧進能相撲操かふき其外諸見もの堅可為無用事
一、惣而大酒不可仕若酒に酔悪事出来[ ][ ]品により五人組迄可為曲事叓
一、神事祭礼従古来有来候分は随分慎[ ][ ]少したり共美麗かましき儀可為[ ][ ][ ][ ][ ]不たん之会合は月待日[ ]に事寄大勢集り農業障費申間敷候勿論新規并臨時之祭礼堅仕間敷候事
一、新規之寺社建立ハ不及申小き祠庵室等新規之造立御停止に候条堅仕間敷候有来候社修覆も随分軽く可仕候事
  附仏事追善等仕候とも随分かろくいたし奢かましき義仕間敷候事
一、寺社代り目時分は庄屋年寄以書付其旨訴出可申候事
一、他所より知行所江引越候もの有之は不依男女庄屋年寄五人組遂相談慥成者に候は先之且那寺并庄屋年寄五人組より証文を以地頭役所江訴来り可請差図事
一、所より他領に罷在拾ケ年以来不通又ハ[ ][ ][ ]仕り候もの立帰度と申候は庄屋年寄五人組江相断其上にて地頭江申達可請差図事
一、親類縁者江一夜泊りに罷越候共其旨庄屋年寄江可申合其外之ものは庄屋年寄五人組まて相断罷帰候は其趣可相届候事
一、御領所は不及申他領ものと出入有之節少茂かさつ成儀不仕庄屋年寄五人組江申届其上にて地頭江可申来候事
一、召使之男女出替之時分宗門相改慥なる請人を立請状念入急度可召抱事
一、独身之百姓夫役等[ ][ ]候歟又ハ長煩仕候て耕作不罷成候は庄屋年寄致吟味五人組[ ]村中にて助合田畑仕付作毛荒不申候様にいたし面々之作同意に念入取納可仕候事
一、他所より馬牛調来候共慥成証文取調可申候尤庄屋年寄五人組江可相断事
一、古来より取来候質屋質物取候共自然見届たるもの持参候は取申間敷候常々質物取慥成証人を立取置可申候事
  附疑敷質物密々にて取候は五人組之内より庄屋方江早々可為申聞早束地頭江可申達候此段庄屋年寄常々相心得可罷在候事
一、町場在々共に組々より帳面に記造り来り候酒屋之外自今以後新屋一切仕間敷候事
一、百姓子共を始諸親類之内軽き侍奉公に出し其後在所江引込候て其儘召抱候儀仕間敷候事縦先主より合力を請候共召抱候儀御停止候事
一、村々にて庄屋年寄百姓に対し聊以非分成儀不仕随分正路に可仕候若非分成儀有之は其訳百姓方江急度可申訴并小百姓共我儘申候段自分百姓之内我儘を以庄屋年寄江随ひ不申もの於有之ハ其訳可申出穿鑿之上急度越度可申付候事
一、耕作大切に仕勝手向暮方随分費之無之様に前後遂差略を分限大切に相守物事正路に可仕事
右之条々村中大小之百姓妻子召仕水呑店借等に至迄無残於庄屋宅為読聞堅可相守者也
 延享四卯年
  地頭中
右御ケ条之趣村中惣百姓水呑等に至迄人別不残庄屋宅江呼寄セ一ケ条限得心致候様ニ為読聞急度相守候様ニ可仕候尤御ケ条之趣五人組限写行置常々組合并妻子等迄承知仕心得違之儀無之様に可仕候若違背之もの有之候は何分御咎にも可被仰付候為其惣百姓御請書判差上申所仍如件
 
重兵衛
小右衛門
庄左衛門
市郎左衛門
源左衛門
 
三右衛門
新左衛門
長右衛門
惣兵衛
又右衛門
 
弥兵衛
茂兵衛
与右衛門
七郎兵衛
与左衛門
 
治兵衛
四郎左衛門
惣右衛門
庄右衛門
惣左衛門
宗秀
   五人組覚
  寛政十一年未正月
(21) 刑部  内藤正雄家文書
(22) 舟木  矢部泰助家蔵
(23) 刑部  内藤正雄家蔵
(24) 立鳥  安藤文也家蔵
(25) 小榎本 渡辺泰之家蔵
(26) 小榎本 渡辺泰之家文書
(27) 川村優・「上総国における改革組合村の始原」(史学雑誌七三篇一一号)
(28) 榎本  川崎主計家蔵
(29) 中之台 川島美董家蔵
(30) 上野  伊藤喜代松家蔵
(31) 立鳥  安藤文也家蔵
(32) 刑部  内藤正雄家蔵