[用水の争い]

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 水田耕作を主体とするわが国の農業にとって、灌漑用水の確保は必須の生産条件であった。水利施設の整っていなかった時代においては、干天の年には大小の水争いが瀕発した。灌漑用水をめぐる争いを、中世では「水問答(みずもんどう)」、近世では「水論(すいろん)」といった。用水の配分方法については、中世以来「番水」の制のように一定の約束があって取水していたが、水不足のため、この約束を一方が破ればすぐに水論となった。水論は、仕付水(しつけみず)の不足したときや、稲の枯死に直面したときに起こるので、暴力に訴えることも珍しくなかった。
 郷土においても、水論はしばしば発生したが、溜井(ためい)の水の配分に関する争いは少なかった。水論の多くは、他村の湧水または小河川の水を手樋(てび)伝いに引込んでいる場合に起こっている。用水出入(でいり)は、執拗さにおいて他に例をみないものがある。それは、直接農民の死活にかかわる問題だからである。