舟木の矢部泰助家に二冊の日記が蔵されていた。文政九年から一〇年にかけて書き続けたこの二冊は、舟木村外三か村と中之台村外一か村との用水出入について克明に書き綴った記録であり、江戸から国元への報告書である。江戸時代農民の水争いの深刻さ、訴訟の苦しさ、冷酷な地頭の利己心、農民の知恵などが胸に響いてくるような好史料である。裁許状や済口証文は数多く残されているが、吟味や掛合いの過程を明らかにした記録は少ない。
この一件は、長い裁判の末、結局和談となったのであるが、その済口証文の写しが舟木の多賀太郎家に、実物の証文が上野区に所蔵されていたので、史料的には完全に揃っている。そこで、やや長くなるが、争論の過程をくわしく追ってみたい。
用水出入日記(舟木 矢部泰助家蔵)