3 秣場と入会権

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 入会権の争いについて述べる前に、入会権や秣場について触れてみたい。小野武夫編『日本農民史語彙』によれば、「一村又ハ数村の百姓が、或る区域の山林又は原野に入り会い、そのうわ木又は毛生を採取するを云ふ」とあり、「毛生のみの入会権を目的とするもの、地盤・毛生ともに入会権の目的とするものなどあって、一定していない」と補説している。入会形態からみると仲間持山・村持山への入会いが普通であるが、適当な採草場を持たない村は他村の持山へ入会っていた。この外、平沢清人『近世入会慣行の成立と展開』には、信州伊那地方での個人持山への入会いが述べられているが、郷土ではその例をみない。
 入会地の用益権については、地元村の先刈権、即ち、一番草は地元で刈り、二番草を入会村で刈るという形がよくとられている。また、採取用具で利用限度を示すことが多い。鎌・厚鎌・鉈(なた)・斧(おの)というように、採取用具の段階が決められていて、鎌だけで下草を刈る権利よりも、鉈まで使える方が用益権が強い。郷土の場合は、ほとんど鎌のみの使用に限られ、太い下枝は伐り取ることができなかった。採取期間や採取量で用益権を示す場合もあるが、これは刑部村と新巻村の争いのところで詳述したい。
 秣場については『地方凡例録』にくわしく記述されている。
 「秣場(まぐさば)は田地(でんち)の肥(こやし)にいたす草刈場にて、多分村々入会(いりあい)の場所多し。山方・野方・原地もあり、年貢野手米永(のてまいえい)ハ地元村に納るもあり、又ハ古来より野手等を差出さず無年貢にて入会になり来る場所もあり、すべて入会は古例(これい)次第、新規入会ハ禁ず。或ハ一村持限(もちき)りの秣場(まぐさば)一村にて取り、あまるほどの大場ハ他村より草札銭(くさふだせん)を納め、札を以て刈取処もあり、札野も勝手次第なれど新規にハ相成らず、前々の仕来(しきたり)に任すことなり。又入会の秣場に仮橋を掛けても他の往来ハ禁ずる定法なり。依て秣場なき村々ハ、田畑の畔土手(くろどて)などの草を刈て用ひ、甚だ不自由なり」
 秣というからには、語源は馬草であろう。しかし、ここでは完全に田地の肥とされている。また、古例尊重が強調されているが、後述の入会争論の裁判を通して、その事実をまざまざと見せつけられる。