4 村道

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 天明八年(一七八八)小榎本村では道幅改めが行なわれた。道幅改めは時々行なわれたらしく、郷土史料にも、道幅改帳(7)を何冊かみることができた。小榎本村の村道・作場(さくば)道の幅は次のとおりである。
 徳増村より大堀際迄  九尺道
 地蔵前より榎本境まで 七尺道
 中道清水川      四尺五寸道
 榎木戸とうめき    三尺道

 「道筋くい共相改メ申候」とあるから、この道幅は道路敷の幅であろう。狹い道であった。しかし、当時の運搬手段が馬の背荷駄(せにだ)か、人の背負梯子(せおいばしご)であったから、これで事が足りたのである。村道は、村人の手により小まめに修理された。しかし、橋の懸替(かけかえ)となると多大の出費を伴った。安政二年(一八五五)立鳥村では「切通し橋」の普請をした。諸経費(8)は次のとおりである。
 一、橋板     五間四尺
 一、柱木 壱本  九尺
 一、はり木    八尺
 右橋板三枚并はり木共代金壱両壱分弐朱、尤(もっと)茂杉木弐本 又柱四本代金弐分
 右木挽(こびき)手間代扶持(ふち)共金壱分弐朱ト弐百文

 総経費は二両一分と二百文である。人足は村人が出たものであろう。村道であるから、大坂のように他村からの助人足はない。また、文書の面からは、地頭の援助も読みとれなかった。

道幅相改書(舟木 矢部泰助家蔵)