前述の巡見使先触の中に、御朱印人馬と区別して、「賃人足二十二人」とも書かれている。これは、幕府の公定賃銭による人足馬である。一定の資格を有する公用者が人馬を使役するときの賃銭で、主に江戸と京大阪その他の天領を往復する幕府役人に許されたものである。郷土に関しては、代官下役の公用通行や御城米輸送の人馬賃が、この御定賃銭で支払われた。
年代不明であるが幕末のものと推定される人足賃銭の覚(おぼえ)(15)に、六地蔵から潤井戸までの継立人足賃、四人で一七二文というのがある。一人あて四三文に過ぎない。四往復しても二百文に達しない。農日傭賃(のうびようちん)でも二百文の時代に、四三文では安過ぎる。恐らく御定賃銭によったものと考えられる。