2 秩父坂東札所巡り

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 信心の旅ともなれば、それ相当の覚悟が必要であった。次の文書がよくこれを示している。
    往来一札之事(19)
 此者生国上総国長柄郡鴇谷村出所者ニ御座候所、此度秩父坂東(ばんどう)ニ罷(まか)り出候間、所々御関所相違(そうい)なく御通し下さるべく候。且又、此者義途中ニて病気付き相煩(わすら)い、万一病死仕(つかまつ)り候ハヾ、其所村々御役人衆中の御慈悲を以て、其御村ニ葬り置下さるべく候。此方え御届ケニは及び申さず候。後日の為、一札件(くだん)の如し。
  寛政八丙辰年二月十五日                           上総国長柄郡鴇谷村
                                         新義真言宗 日輪寺印
 所々 御関所御役人衆中
  村々 御役人衆中
 途中で病死したときは、見知らぬ土地の無縁仏の墓地に葬られる覚悟がなければ、巡礼には出掛けられなかった。元文五年六月二三日やはぎの坂(鴇谷より高山へぬける路)にて行き倒れの巡礼があり、「何国者ヲヤ」と過去帳(日輪寺)に記されてあり、大津倉篠田治江家にある文化八年の年記のある全国巡礼の道順を記した長尺の一巻は、この様に他国で巡礼の途中病没した人の遺品であろう。

文化7年の秩父道中ガイドブック
(刑部 池座竜一家蔵)