5 木銭

440 ~ 442 / 699ページ
 中世や近世初期の旅は、食糧を持参して自炊したので、燃料代として木銭(きせん)を支払った。食糧を持参しないときは、米を買って自炊した。それが、中期以降になると、木銭宿は本陣や旅籠に対して、より下級な旅宿を意味し、木銭は、安旅宿の宿泊料を指すようになった。もちろん、木銭ということばは使っても、米や薪を買って自炊するようなことはなくなり、巡礼や旅芸人が盛んに利用した。金のある旅人は旅籠に泊った。木銭宿のころは、農家の副業的なものが多かったのであるが、旅籠は次第に専業化し、風呂をたて、酒食や寝具を用意して旅人のサービスに努めた。木銭宿の面影は草深い湯治場に残され、湯治客は自炊して温泉にひたったものであるが、今は、その残照を見ることも少なくなった。
 註
(1) 針ケ谷 酒巻政雄家所蔵  内田村と六地蔵村の助郷出入控帳
(2) 『千葉県郷土誌』
(3) 上野 伊藤喜代松家所蔵「人馬継立難渋之事」と題する助郷争論訴状
(4) 『千葉県郷土誌』
(5) (3)と同じ
(6) 刑部 内藤正雄家御用留
(7) 小榎本 渡辺泰之家、舟木矢部泰助家所蔵
(8) 立鳥 安藤文也家所蔵
(9) 大島延次郎『日本交通史概論』
(10) 刑部 村上忠義家御用伺書留帳
    御印書写
 来年四月日光就
 御社参 江戸 日光 岩槻 宇都宮江寄人馬関八州之内 前々より除来候分 且御供御用掛り之面々領分知行所除之御料私領江相触 無滞急度差出し候様 可被申付者也
  安永四未閏十二月
     主殿
     佐度
     周防
     右京
     左近
                 伊奈半左衛門殿
(11) 立鳥 安藤文也家文書
(12) 舟木 矢部泰助家文書、御巡見御先触控による。以下本項は、矢部家の御朱印御伝馬人足割控帳及び道脇寺大和久忠敬家の御巡見諸御用日記による。
(13) 金谷 加藤喜之家所蔵
(14) 桜谷 仲村多治見家用留
(15) 六地蔵 関英一家文書
    覚
 一、百七拾弐文   人足四人
 右者当村より潤井戸迄
  寅九月二十七日       六地蔵
                 問屋(屋号印)
(16) 茂原市八幡原 東条健家所蔵
(17) 舟木 多賀大郎家所蔵
(18) 大津倉 篠田惣次家所蔵
(19) 鴇谷 加藤泰治家文書
(20) 刑部 池座竜一家所蔵